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項目 内容
ID J2300051
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1703/12/31
和暦 元禄十六年十一月二十三日
綱文 元禄十六年十一月二十三日(一七〇三・一二・三一)〔関東〕
書名 〔房総沖巨大地震 ―元禄地震と大津波―〕S58・9・1伊藤一男 崙書房
本文
[未校訂](
注、原史料の写しである。他出ある部分は省略して掲
載する

また、『見聞雑誌』には「十一月廿三日ノ夜、此沖合ニ大宝
丸ト云フ大船一艘、風待ヲシテ休泊有シニ、船頭大ニ廿三夜
ノ月ヲ信仰アリ、夕暮レテ波静ニナギテ、月船ノ水先ニ出タ
レバ、早速船頭船ノヘサキへ出テ月ヲ拝セントスルトキ、月
凡三ヒロモ上リシトモ思フ内ニ浪ノ為ニ月隠レ、船頭大ニ驚
キ是ハ大波ナルベシト、早々錠リ綱ヲ延シタルナレハ、船浪
ニツキ埋リ皆亡命スルヲ免レタリト云、是即チ神仏信心ノ奇
得ナルベシト云々。」とも記されている。この地方には、当
時「御三夜様」といって、浜辺に出て、月光を拝する民間信
仰があった。その神徳伝承の一種であるが、津波による大波
のために、「二十三夜の月」が波間に隠れたのを見て、咄嗟
に錠の綱をのばして船の顚覆を免がれた。まさに、経験豊か
な海上労働者ならではのエピソードである。
一宮町の『牧野文書』によれば、前原浦では村全体が津波に
みまわれ、一村全滅に近い惨状であったと記されている。以
下、関係の部分を抄出してみたい。
「南は上総房州まで段々浪高く打揚、人も大分に死亡申
候、房州前原浦一村にて、家居○千軒余りの家不残打流
し、人も千三百人余死亡申候、牛馬も死失大分に有之候、
此節の地震夥き大地震にて、岡方にても□□(欠)家寺々共、大
分家ともゆりたおし、所々にても□□□□□(欠)打連、或は気
を失、死人も大分に有之候、房州海辺は海陸に成り候所又
有之、岡地海に成り候所、普多(ふた)所出来申候、其外地志ん(震)に
て所々替(変)り候事共、沢山有之候(以下略)」
出典 新収日本地震史料 補遺 別巻
ページ 101
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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