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項目 内容
ID J2206008
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/07/09
和暦 嘉永七年六月十五日
綱文 安政元年六月十五日(一八五四・七・九)〔伊賀・伊勢・大和・山城・近江・河内〕
書名 〔京阪留守居日記〕○京都小笠原文書 北九州市歴史博物館
本文
[未校訂]六月十四日夜九ツ時過大地震十五日朝迄度々震動其後も数度
ニ及ふ追々承り候処伊賀上野伊勢四日市大和奈良江州路別而
烈敷京大坂丹波若狭等ハ先格別之事無之前断四ケ国は潰家死
人不知数大変之由
同十五日 晴 昨夜子刻過ゟ地震度々有之 午後大雨
上林三入儀去ル申年洪水之節水損有之昨夏旱魃ニ而茶園枯痛
当春虫附強引続地震ニ而居宅茶製場等及大破旁以必至と差支
候付拝借銀之儀願出候得共当時格別御取締中ニ付右願之趣被
成御断為御言訳銀七枚被下置候此旨京都表へ可被申越候
九月廿四日
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 963
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 京都
市区町村 京都【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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