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項目 内容
ID J2205916
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1853/03/11
和暦 嘉永六年二月二日
綱文 嘉永六年二月二日(一八五三・三・一一)〔小田原〕
書名 〔神奈川の歴史 上〕S41・8・1 有隣堂発行
本文
[未校訂]市の北側に被害集中 嘉永大地震の被害もまた大きかっ
た。小田原地震をふりかえってみると、どの場合も、被害が
ひどいのは、市街の北側にあたる竹ノ花、須藤、大工町、弁
財天付近で、地盤の関係からであろうか。小田原藩の財政が
常に苦しかったのは、たびたび大地震に見舞われたためで、
地震後の復興は全部、幕府からの借金でまかなわれた。幕府
も地震が起きると、「大久保がくるころだ」と借金を観念し
ていたという。
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 927
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 神奈川
市区町村 横浜【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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