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項目 内容
ID J2205676
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/01/25
和暦 弘化三年十二月九日
綱文 弘化四年十二月二十日(一八四七・一・二五)〔熊本〕
書名 〔書状〕○福岡県柳川柳河藩政史料史資料館分館)
本文
[未校訂]立花織衛家文書 柳川古文書館(九州歴
(前略)
併正月ニも相成余寒如何と被存候是迄之通之気候ニ御座候而
は余り暖気故来年作並共如何可有御座哉と奉存候已ニ一昨日
朝四時過頃共相覚候時合地震両度仕候私抔ハ此度之様之地震
ハ初而存知候余程之事ニ而間ニは門抔たをれ候処も御座候塀
抔もたをれ土塀抔はゆり割申候炭山抔も崩申候由承り風聞ニ
は二百人も被圧殺候様ニ申候得共是ハ実説ハ未た不承候不唯
事気候模様ニ御座候連年趣彼是ニ而物こり之末ニ御座候間恐
怖仕候尚又追々可申上候先此節は御婚礼両祝儀且は寒中御見
舞申上度奉愚札候尚□後音之時候 恐惶謹言
十二月廿二日由布蔵人
立織衛様 惟一□
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 906
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 福岡
市区町村 柳川【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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