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項目 内容
ID J2204714
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1833/12/07
和暦 天保四年十月二十六日
綱文 天保四年十月二十六日(一八三三・一二・七)〔羽前・羽後・越後・能登〕
書名 〔御用日記♠〕岩瀬家(旧加藤家)文書小田原市立図書館寄託
本文
[未校訂]十二月十五日の条
一御勝手方取り遣見候所、去月廿六日出羽ノ秋田庄内羽後之
村上、大地震之上ニ津波ニ而、人馬流失死亡大双之旨、戸
沢侯抔ニは、御自身御回村被成御世話被成候趣、奥州道中
並木之松皮ヲ取り給、広(カ)樹等之木は無之と申様之由、誠飢
饉ニ而毛(カ)半死亡之趣談
公辺諸家御用米之有之方々様江被 仰付、御用米回米被
仰付、凡三十万石程回米、入津ニ而は江戸表米茂多成り、
穏ニ可相成と申趣之由
奥羽大地震津波之様子大変ニ被存候事、皆御家々ゟ御届
書、或は御家来直□ニ候趣
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 820
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 神奈川
市区町村 小田原【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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