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項目 内容
ID J2204037
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1819/08/02
和暦 文政二年六月十二日
綱文 文政二年六月十二日(一八一九・八・二)〔美濃・尾張・伊勢・近江・大和・京都〕
書名 〔平田町史 上〕○岐阜県S39・12・1 森義一著 岐阜県海津郡平田町役場発行
本文
[未校訂]文政地震と其復旧 文政三卯年六月十二日八ツ半時(三時)、
美濃、伊勢、近江地方に大地震があり
(半日閑話)、震動時間長く、大垣の船見御番所が倒壊し、ま
た御櫓、御多門、土蔵の類は悉く亀裂を生じ、川溝などの水
は岸上へ打上げ、更に堤防の崩壊した被害も尠くなかった
(大垣市史)。そこで幕府は、同年十二月勘定奉行古川山城
守、勘定吟味役館野忠四郎、美濃郡代松下内匠等に、修築係
を命じた。翌三年四月竣工したが、翌五月二十五日長州萩毛
利家、周防岩国吉川家及び石州浜田松平家の三大名にお手伝
を命じた、これもお金お手伝であることは、毛利家記録に
「実地の工事は、美濃郡代松平内匠これを行い、長藩は、そ
の経費のみを負担す」と見えて明らかである。今回は九月、
十一月及び十二月の三回に分納させたが、その総額は、凡そ
五万七千余両であった。なお関係の普請は次のとおり。
長良川 海西郡幡長村 郷蔵下 堤洩所堀割 二二・〇
〃 〃 高札下 堤小段欠所 五・〇
〃 〃 者結村境 堤欠所 三八・〇
〃 〃 同所 裏小段 三八・〇

〃 〃 場所記入なし 杭木 八二・〇
長良川 海西郡野市場村 平左衛門地先 堤欠所 二〇・〇
〃 〃 高札場下 同 一〇・〇
〃 〃 同所 堤減所堀割 七・〇
〃 〃 渡場 猿尾 七・〇
〃 〃 八郎兵衛裏 同 一四・〇
長良川 海西郡野寺村 松本 堤裏小段 四〇・〇
〃 〃 〃 堤欠所 二六・〇
〃 〃 和助東 同 五六・〇
〃 〃 佐助裏より郷蔵迄 同 一〇〇・〇
〃 〃 澪上 堤洩所 二二・〇
〃 〃 小源治地先 堤欠所 二四・〇
〃 〃 幡長境戸八地先 同 一四・〇
〃 〃 二ケ所 並杭二通打
三一六本
 一三四・〇
長良川 海西郡者結村 曾平次東 堤欠所 一六・〇 根堅杭六六本共
〃 〃 同東下 同 二五・〇
〃 〃 領蔵前上 堤洩所堀割 四・〇
〃 〃 領蔵前 同 六・〇
〃 〃 彦兵衛猿尾 根元並杭一〇六本 二六・〇
〃 〃 〃 立籠三六本根籠七本二分
並杭二一本
 一二・〇
〃 〃 彦兵衛猿尾より野市場村境迄 並杭一七〇本 四二・〇
〃 〃 宮東 堤小段欠所 五・〇
次いで、同十二年四月二十九日薩州鹿児島、伊予宇和島、肥
前島原、豊後柳河、豊前小倉、奥州白河、信州上田の七大名
にお手伝を命じた。総額十四万七千八百二十八両を高割りで
分担させたのである。
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 681
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 岐阜
市区町村 平田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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