Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J2202518
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1751/05/20
和暦 寛延四年四月二十五日
綱文 宝暦元年四月二十五日(一七五一・五・二〇)〔高田・越後西部〕
書名 〔藤沢山日鑑〕
本文
[未校訂](宝暦五年九月)
十六日 晴天
(中略)高田称念寺足下之転官被仰付為御請御番方迄参
上、高田称念寺足下転官御切紙頂戴、帰宿之時大玄関ゟ出
ル、御番頭玄関敷居内迄御人召敷台迄送出候事
許状
賢丈事門下之極﨟、殊ニ地震以後傾動之諸堂悉起立、尤
寺格之顕隠旁薫功之至、幸今度登山ニ付令転進足下之
席、猶於帰藤重而可有護念者也
宝暦五亥年九月十六日 藤沢廿(賦存)八世越後高田称念寺其阿足下了諦和尚 (後略)
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 470
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 神奈川
市区町村 藤沢【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.001秒