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項目 内容
ID J2200856
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1666/02/01
和暦 寛文五年十二月二十七日
綱文 寛文五年十二月二十七日(一六六六・二・一)〔越後〕
書名 〔写真・高田風土記〕S45・7・25 稲荷弘信
本文
[未校訂]寛文の地震―付宝暦・弘化の地震―
寛文五年十二月二十七日(新暦二月二日午後三時~七時)一
丈四尺の積雪のなか、大地震。城の土塁、建造物等ほとんど
倒壊。城下も壊滅的被害。焼死や雪で圧死したものなど町人
約一五〇○、侍三十五、家族一二〇、高田藩の家老小栗正
高、荻田隼人も死亡。生き残った人は雪上で小屋をつくり、
ふるえていたという。
小栗美作は幕府から借りた五万両のうち二万五千両を町の復
興にあて本町通りは問口一間につき金一両、南本町・北本
町・東本町通りに金三分、仲町・大町は金二分をかし与えた。
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 199
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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