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項目 内容
ID J2200427
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1596/09/05
和暦 文禄五年閏七月十三日
綱文 慶長元年閏七月十三日(一五九六・九・五)〔近畿・中国・四国〕
書名 〔愛媛県編年史 五〕S44・3・30 愛媛県史編纂委員会編 愛媛県
本文
[未校訂]閏七月九日 大地震によって、伊予郡保免村薬師寺・周布郡
北条村鶴岡八幡宮など被害をうける
(薬師寺大般若経奥書 一七)○松山市大字保地
文禄五丙

天潤七月九日ニ大ニ地震うて国中迷惑仕候、其時
(以下なし)
(小松邑誌 上ノ六)
広江村吉田

密林山徳蔵寺 (中略)慶長丙(元)申七月大地震、人屋顚倒、此
邑無棟宇之全者、於是乎村老胥義、遷邑居於今地、以此地
良沃、稼檣滋盛、辛(ママ)民惟♠、各ト居室
(小松邑誌上ノ六
北条之部

北条村北条郷、古ハ池田
郷ニ属スト云
鶴岡八幡宮 (中略)文禄四(五カ)(丙申カ)年壬辰閏七月九日、戌刻ノ地震
ニ、宮殿宝蔵神器記録ニ至迄、大半顚倒シテ地中ニ陥没ス
(予松古跡俗談)下道後郷末 伊予郡
日招八幡宮 在保免村 薬師寺、西林寺
俚俗の云伝ふる、 (中略)薬師寺はもと日照山医王院長円
寺と号、 (中略)高綱此地に八幡宮を勧請有、則当寺を別
当として新たに九間四面の本堂および観音堂・鐘楼・中門・
二王門・塔頭等造立あり、八町四方の地を寺社領田として
寄附し給ふ、此時日照山を改めて日松山と号す、(中略)
慶長元年閏七月、天下大地震の時、本堂二王門また崩るゝ
よし云伝へぬ
(参考)
(伊予日記)伊予史談会
一文禄四乙未歳(中略)大地震、豊後沖ノ浜ノ城ユリコム由
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 95
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 愛媛
市区町村 松山【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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