[未校訂]閏七月九日 大地震によって、伊予郡保免村薬師寺・周布郡
北条村鶴岡八幡宮など被害をうける
(薬師寺大般若経奥書 一七)○松山市大字保地
文禄五丙
申
天潤七月九日ニ大ニ地震うて国中迷惑仕候、其時
(以下なし)
(小松邑誌 上ノ六)
広江村吉田
郷
密林山徳蔵寺 (中略)慶長丙(元)申七月大地震、人屋顚倒、此
邑無棟宇之全者、於是乎村老胥義、遷邑居於今地、以此地
良沃、稼檣滋盛、辛(ママ)民惟♠、各ト居室
(小松邑誌上ノ六
北条之部
)
北条村北条郷、古ハ池田
郷ニ属スト云
鶴岡八幡宮 (中略)文禄四(五カ)(丙申カ)年壬辰閏七月九日、戌刻ノ地震
ニ、宮殿宝蔵神器記録ニ至迄、大半顚倒シテ地中ニ陥没ス
(予松古跡俗談)下道後郷末 伊予郡
日招八幡宮 在保免村 薬師寺、西林寺
俚俗の云伝ふる、 (中略)薬師寺はもと日照山医王院長円
寺と号、 (中略)高綱此地に八幡宮を勧請有、則当寺を別
当として新たに九間四面の本堂および観音堂・鐘楼・中門・
二王門・塔頭等造立あり、八町四方の地を寺社領田として
寄附し給ふ、此時日照山を改めて日松山と号す、(中略)
慶長元年閏七月、天下大地震の時、本堂二王門また崩るゝ
よし云伝へぬ
(参考)
(伊予日記)伊予史談会
一文禄四乙未歳(中略)大地震、豊後沖ノ浜ノ城ユリコム由