[未校訂]田津ノ浦は此時代に入りて船舶益輻輳する所となり、人家千
戸以上に達せり。後に対岸の部落を北湊と呼ぶはこの南湾の
港に対したる名称なり。
然れども田津ノ浦は天正の海嘯以前已に津浪の為に破摧せら
れて一漁村と変し、三角洲は益増大して箕島の海岸に砂地を
開き、人民移住して一港をなし赤岩は陸地となり、箕嶋の村
民も山麓を離れて嶋に移り住するに至れり。
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項目 | 内容 |
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ID | J2200302 |
西暦(綱文) (ユリウス暦) |
1498/09/11 |
西暦(綱文) (先発グレゴリオ暦) |
1498/09/20 |
和暦 | 明応七年八月二十五日 |
綱文 | 明応七年八月二十五日(一四九八・九・二〇) |
書名 | 〔和歌山県有田郡誌〕▽ |
本文 |
[未校訂]田津ノ浦は此時代に入りて船舶益輻輳する所となり、人家千
戸以上に達せり。後に対岸の部落を北湊と呼ぶはこの南湾の 港に対したる名称なり。 然れども田津ノ浦は天正の海嘯以前已に津浪の為に破摧せら れて一漁村と変し、三角洲は益増大して箕島の海岸に砂地を 開き、人民移住して一港をなし赤岩は陸地となり、箕嶋の村 民も山麓を離れて嶋に移り住するに至れり。 |
出典 | 新収日本地震史料 補遺 |
ページ | 53 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | 和歌山 |
市区町村 | 有田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる |
版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
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