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西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

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項目 内容
ID J2200301
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
1498/09/11
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
1498/09/20
和暦 明応七年八月二十五日
綱文 明応七年八月二十五日(一四九八・九・二〇)
書名 〔紀伊国名所図会 一〕▽
本文
[未校訂]玉隆山海善寺 御小人町西にあり
当寺の開基詳ならず。中興開山呑海上人は、美濃国谷汲寺の
住侶なりしが、熊野三山へ順礼の折から、当郷和田鵜のしま
和田うらの事跡は、松江浦
の条下にくはしくしるす。
漁師右衛門吉今植松町に其
子孫あり。
といへる
ものゝ宅に止宿したまふのとき、王船御神乃事跡をたづね、
有縁の地なればとて、廃せしを再営して一字を建て、すなは
ち王船の御神を鎮守となしける。然るに彼地、大浪ごとに数
害あるによりて、明応年間こゝに堂宇をうつして、西山派の
浄刹とはなりぬ。
小野山安養寺 御小人町南にあり。
しかるに応仁の兵火に罹つて荒廃におよびしを、本尊ならび
に天満宮を、明応年中和田浦より当湊小野村今小野町
といふ、
に引移
せしを、慶長年中桑山果報院此地に移して、今の道場とはな
れり。
 鵜島 上町・網屋町・材木町・植松町、此四町は一くるわ
にして、明応年間和田うら鵜の島つなみして、大半破却にお
よびしより、こゝにうつして漁職をなす。
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 53
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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