Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J2200262
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
1498/06/30
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
1498/07/09
和暦 明応七年六月十一日
綱文 明応七年六月十一日(一四九八・七・九)
書名 〔津市史稿〕▽
本文
[未校訂](九畹堂随筆蘭塵)
明応三年五月七
七年六月十一
両度の大地震に安濃津十八九町沈没すると
申伝う。安濃松原此の災に海となりたるなん。遠州今切の大
変も明応八年六月十日の事と云う。明応は後土御門院の御世
なり今を去る事三百五十年前なり。安濃津の湊口より十町許
漕ぎ出づれば忽ちに海深き界に入る。茲までは遠浅なり。潮
の退きたる時に波の底を窺ひ見れば其の界絶壁の如く険しく
北乙部浦の前より南鳥浦の方にさして続きたり。俗に檀と云
う。是れ彼の松原の基なりと云う。斯くの如く海中にさし出
てあらば丹後の天の橋立などの如く実に絶景の名称なりける
こと宣なり此の松原失せたるに依りて古より名にし負う港も
跡なくなりて今は風を避くべき舟がかりの便なく云々。(伊
勢考古録)洞津の海は至っての遠浅也、昔は今の海の中に町
ありて往来なりし由、今に海中に一段深き所ありて其の辺に
昔町屋の前なりし溝の跡なりとて石の列べし場所ありときけ
り、其の頃は安濃津松原などもありて今立町の半に掛かる板
橋も其辺に渡せるよし。
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 43
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
市区町村 【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.001秒