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西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

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項目 内容
ID J2200050
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
1026/06/10
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
1026/06/16
和暦 万寿三年五月二十三日
綱文 万寿三年五月二十三日(一〇二六・六・一六)
書名 〔横田物語〕○島根県益田市横田町S52・1・1 大庭美一著
本文
[未校訂]人皇第六十八代後一条天皇の万寿三年五月二十三日亥ノ下刻
この地方は空前の大高波の襲来をうけ、高津千町が原や高津
沖にあった鴨島等が流亡し、高津長者の菩提寺であった寺垣
内(神田)に建っていた大寺護宝寺が崩れた事が、石見八重
葎にも記されておりますが、横田の地にどのような被害を生
じたものかこれを明らかにする記録も見つかっていません
が、現在の横田の町筋は大体海抜十四米前後ですから、それ
よりもはるかに高い所にあったと思われる寺垣内村の大寺が
崩れたほどの高波が押し寄せて来たとすれば、上野や市原の
台地を除いて他の所はほとんど高波の底に沈んだことでしょ
う。横田の市原地内で市立養老院と牛尾鶴男氏宅との間の断
層がと切れて、市原部落の中央地点の近くまで溢になってお
り、この箇所を舟ガ溢と呼んでいますが、この地名の起源は
万寿三年の大海嘯の際に舟が打ち上げられたのでそれが地名
となったと言われていますが、これにはもう一つ異説があ
り、横田平野は大昔は海であったもので舟ガ溢は深い入江に
なっていて、里人が舟をつないだ所であったので、それが地
名となったものとも云われています。
二説を比較して見ますと、双方とも成程と思われる所があり
ますが、どうも海嘯説の方が真実性が強いように思われま
す。
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 13
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 島根
市区町村 横田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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