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項目 内容
ID J2100325
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信濃・越後西部〕
書名 〔永代記録帳 五〕○江戸五島美術館
本文
[未校訂]弘化四年
三月廿四日
一今暁四ツ時前大地震ゆる 信州松代真田様御領分廿四日
亥刻頃ゟ大地震にて城内御住居向櫓并囲塀等夥敷破損に
て御家中屋敷城下町の御領分村々其外御支配所潰屋数多
死失人夥敷殊ニ村方出火も有之其上山中筋山かけ崩れ犀
川押埋水湛候て充いたし勿論流れ水一切(ママ)一切無之北国筋
往還丹波嶋宿船場渡し干上り人一向通行無之候又善光寺
残本堂山門無別条別当大勧進総潰れ其外町々不残出火致
土地并旅人等六百人程死失候由
松平伊賀守様更科稲荷山村同日同刻地震ゆり大家震潰夫
ゟ出火致荒増焼失人馬継立出来兼其外小県郡内人馬□込
等□□廿六日に至候ても折々相震ひ候由飯山御城内向夥
敷破損も御座候
本田豊後守様堀長門守御領分同様大地震にて潰家夥敷又
榊原式部大輔様御領分も潰家夥敷漸々廿五日夘中刻に相
鎮候処地所割裂泥水吹出し潰家人午丑死人多く怪我人等
夥敷誠以前代未聞の大変の御事に御座候殊に今年御開帳
に付御当所遠国ゟ参詣人夥敷御座候所右様の大変にて死
失候人数多御座候風聞に御座候
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻6-2
ページ 1813
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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