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項目 内容
ID J2100254
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信濃・越後西部〕
書名 〔蘆ケ崎村誌〕中魚沼郡S37・12中魚沼郡津南町教育委員会
本文
[未校訂]弘化四未三月廿四日申刻(午後四時)大砲の響き音して次て
震動す、続いて夜に入て数回、人々恐怖して云浅間山の破烈
なるへしと、是より日夜時々震動止まさること七日虚日無し
諸処亀裂を生したり、此地震善光寺を以て震源地なるを以
て、世に善光寺地震と称す、時に信濃虚空蔵山、崩落し、犀
川を壅塞すること二十日に垂んとす、四面大湖となり決潰せ
んか一時に大瀑を為して洪水至らんと、警報村より村へ伝は
り、浮説紛々として人心恟々たり、反里小下里の民河辺に出
て、夜は火を焚いて警戒せしか、果して四月十四日未明より
濁流漲溢し、下反里先の水を被り、小下里又浸水す、何れも
避難し、小下里村民は田麦田山上に至り反里は上反里に避
く、
古老談に云、此時の洪水の恐しさと云つては、ものゝ譬も
なかりし、赤濁の水渦を巻いて、一丈もあらんかと思はる
高浪を打つてまくし来り、見る六尺大の男、浪にもまれて
浮きつ沈みつ流れ来り、家財道具や酒屋の造り槽とおほし
きものや、重さなりあひ、其中に混りて人や馬の死骸もく
る、其もの凄き眼もくらむはかり、十四日は巳の日で、コ
ンナ大水か出たかと人々云ひあへり、それより三日も同し
様てありしが、四日目は大に減水して、村中の水溜りも退
け山から皆々下りし、アノ大男と思ひしは、後に聞けは善
光寺の仁王像てありしと、
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻6-2
ページ 1754
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 新潟
市区町村 芦ケ崎【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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