[未校訂]・善光寺地震
弘化四年(一八四七年)三月二十四日夜 四つ時に大地震が
発生した。震源地は善光寺であったということで この名が
つけられた。
高田藩主榊原公が 公儀への届出によると、去る二十四日
同二十九日の大地震で 高田城内の各所が大破損をし、人家
で全潰したのが四七七、破損したのは一、六七一、倉庫の全
潰は一九、破損は二五二、神社の堂宇全潰が三、死亡者は五
人、負傷者二八人で、斃馬二頭、山抜欠壊四八ケ所とある。
三月二十四日、二十九日は大地震であったが、その後に五六
度もあり、七月から秋末までに 小地震数十回もあり、冬に
なってやっと静まったけれども、その後四、五年間は絶えず
震動した。
此の時、当町に於いては 倒潰家屋はなかったけれども、戸
障子、棚上の物品又は土蔵の壁等に亀裂・破損が生じたが、
幸いにも負傷者はなかった。
然し 日々 数回振動し、而も長期にわたっての震動の為、
中心地であった善光寺の惨状を聞いて 恐れて 誰も家の中
に入る者がなく、仮小屋を建ててそこで起居し、一週間以上
も 農業は勿論のこと、諸職人も休業してしまい、村役人は
昼夜の区別なく 警火、その他の見廻りをして ひくびくし
ていたが、一週間後には 震動も微弱となったので、村役人
が協議した結果、一同を本宅に入れ、生業に従事させたとい
うことである。