Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J2100208
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信濃・越後西部〕
書名 〔黒河内史料〕上伊那郷土館
本文
[未校訂](表紙)一 弘化五戌申年
地震諸処々御届書之写
二月写之 」
(注、他出ある文書は省略)
賀州御飛脚之御届ケ
去月廿四日越中ニ泊り止宿仕候処、戌中刻大地震有之、名立
有馬川之間、四海浪ト申処、田壱枚往還江押出シ、所々橋々
石垣等崩、大田切小田切は大地ひゞわれ大損、右ニ付関山宿
より人馬継立不申、野尻宿柏原古間宿人家不残潰れ、牛船宿
人家同断、内弐拾軒斗出火、其外村々之内吉村、人家相潰、
山之上ニ堤三ケ所斗有之由、地震ニ而押出シ、右村土之下ニ
相成申候、阿ら町宿三輪村迄、人家不残打潰申候、善光寺宿
大地震、人家潰其上大火、人馬損夥敷、犀川之上川之中に山
押出し、依之丹波嶋宿水少茂無之、且又小市廻り罷通候処、
稲荷山不残人家相潰、其上大火、筑摩川八幡ニ而相渡り、下
戸倉宿止宿仕候処、西之方之山度々鳴申候、是迄而(ママ)は火打消
野宿仕候処、榊之(坂城)横引山より石山崩、下道を漸々通り申候、
上田宿岩鼻与申処、岩打崩申候、荒増相認申候
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻6-2
ページ 1653
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県
市区町村

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.002秒