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項目 内容
ID J2100188
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信濃・越後西部〕
書名 〔目で見る明科史〕東筑摩郡明科町S52・3・31 目で見る明科史発行委員会編・発行
本文
[未校訂]善光寺地震
 この地震で、犀川に近い更級郡の岩倉山が大崩落し、犀川に
押し出して水をせきとめたため、犀川の水は上流の明科あたり
までたまり、岸の人家を水没させました。
また方々の山崩れは山麓の人家を埋めたりもし、押野村に伝
わる「地震荒取調書上帳」によってその被害例をみると、押
野村の百姓彦右衛門の家では、裏山が押し出して、間口十二
間・奥行五間の居家が全潰し、彦右衛門は泥とともに押し出
されて腰を打ち労働できない状態となり、父は壁の下で圧
死、母は材木の下になって手足腰を痛めて病気になり、長男
の十才の子は足を負傷、無傷だったのは妻と幼児二人、それ
に弟の四人だけでした。そのほか馬一頭も土中に埋れて用に
立たなくなり、穀物五俵や作道具も泥中に埋もれてなくな
り、農業をすることがむずかしくなったという。
押野村全体では、本潰七軒・半潰四軒の山崩被害があったと
記録されていて、地震の被害の大きかったことを伝えていま
す。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻6-2
ページ 1492
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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