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項目 内容
ID J2100148
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信濃・越後西部〕
書名 〔年表 戸倉町の今昔〕埴科郡戸倉町S49・3・30 戸倉町教育委員会発行
本文
[未校訂]一八四七
弘化四丁未
三・二四
○善光寺大地震 三月二十四日亥の刻(午
後九~一一時)
○戸倉宿潰家三軒、残者なし。
○羽尾村変死二人、これは稲荷山と山布施
村への出稼者であった。(埴科郡志)
この地震は、三月二十四日より十二月
まで毎日地震、地鳴止むことなく合計大
中小三三、一五一度にて、大きい地震の
あった月は四・五・八・十一月であったと
いう。(竹内家地震日記)
○難渋民救助のため下戸倉村柳沢儀右衛門
は、施米金三百両白米四〇俵を中之条代
官所に差し出す。(柳沢文書)
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻6-2
ページ 1348
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長野
市区町村 戸倉【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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