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項目 内容
ID J2100030
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信濃・越後西部〕
書名 〔小田切村誌〕S40・8・15 小田切村誌編集委員会編・小田切村誌刊行委員会
本文
[未校訂](注、他出なき部分のみをのせる)
山田中村が被害が最も多く、半数以上の家がつぶれ、大抜け
や耕地流失で青いものがみえなかったとつたえている。
東繁や二ツ石部落は小野平の前沖からぬけ落ちたもので現状
地形からみてもはっきりそのあとがわかる。
田中にある古文書には一夜四ツ時大地震ぬけ埋り人数三十二
人死す、御寺を頼み野にて御施がきどきの改名也」「田中村
拾弐軒の人ばかり」と裏書きして、戒名が書いてある。内訳
男大人九人、女大人十二人子供八人、法子一人は、はっきり
読みとれる。男の大人の少なかったのは当夜枇杷で会合があ
り出かけていたためだという。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻6-2
ページ 954
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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