[未校訂](注、他出なき文書のみ掲載する)
弘化四丁未年七月
堀長門守
御領分信濃国高井郡之内当三月廿四日夜地震強御陣屋破損其
外潰家等有之四月十三日出水ニ而水押入流家等左之通
一御陣屋御住居向所々破損
一御陣屋土塀倒三拾間程其外少々宛所々崩
一御家来居宅并御長屋向損所数ケ所
一学問所破損壱ケ所
一御陣屋下町方破損数ケ所
一同町末柵石垣崩壱ケ所
一牢屋敷外構煉塀不残崩
一潰家五拾五軒
一半潰家五拾壱軒
一潰蔵五ケ所
一大破損家九拾四軒
一潰物置拾七軒
一潰水車屋弐軒
一半潰蔵四ケ所
一破損蔵拾四ケ所
一同物置三拾八軒
一同辻堂弐ケ所
一潰社壱ケ所
一破損社壱ケ所
一潰井戸五ケ所
一破損寺院拾四ケ寺
一死失八人内六人男弐人女
一田畑地裂泥砂吹出并高砥(ママ)相成候場数百ケ所
一流失家廿四軒
一水押ニ而潰家九拾三軒
一同半潰家六軒
一同水泥押入家六百廿八軒
但床上七八尺ゟ弐三尺迄
一流失物置五拾弐軒
一潰物置廿四軒
一流失高札場三ケ所 但高札は所外ニ置申候
一用水路川々押埋数百ケ所
一堤土手崩九百五十間程其外川々堤土手欠崩数百ケ所
一蔵屋敷水押入壱ケ所但囲米五十俵程水腐
一流失人三人内弐人男壱人女
一田畑水押水冠泥砂石砂利押入
五千百四拾七石壱斗八升九合
内
三千三拾六石弐斗四升 田方
弐千百拾石九斗四升九合畑方
右之通御座候其外在中所々破損一躰之儀ニ而微細之儀は難
取調候段御届
修羅の御□
焼灰の雪かきわけて諸人の
骨をひろふて御□あわれさ
右地震ハ重野震多之後胤
運野尽氏公之末孫
地震自由
城崎伊豆守公
震筆也
此度の地震とかけて
中気の人ととく
心ハ
ふるい通しだ
此度の地しんとかけて
踏出しの豆ととく
心ハ
潰したり焼たり水を出したり
丹波嶋の船渡とかけて
老母の隠し所ととく
心ハ
水けかない
産中の水溜りと懸て
りん月の女ととく
心ハ
今比もぬける
犀川の山抜と懸て
俄金持ととく
心ハ
日増にたまる
善光寺の焼路と懸て
やふれ凧
心ハ
骨はかり残る
此度の地震と懸て
狐付の人ととく
心ハ
幾度も飛出す
一口噺し本堂てふる〳〵するハ娘か本多かヲレハまよひの前
た
善光寺ハこんとの火事て金も銭も焼たろふさいせん程ハある
夫ハナセさんもんわ残た病人じしんと逃出したがとこの人た
ろふあれハうなり山た
犀川疱瘡をして日山かはつたて水海になるしう万石の親父地
しんに逃出して曰ミのぢか大事た
一真田信濃守様御国許今般の大地震天災とハ申なから残念な
るハ越前殿在職に有之候ハゝケ様之変事ハ有間敷ものをと
御歎息被遊候由いか成子細成と密かに相伺候処大切之儀容
易に演説ハ難成なれと御小音にして
江戸表よりして世上一躰ニ自非番かゆるむと仰のよし
大火八景
善光寺の晩焼
ゆり潰す地しんとともに火の出て
諸国へひびく丸焼の沙汰
畠田の落減
こし近き川中嶋の地震にハ
畠田も野をもゆり通しけり
飯山の運の尽
飯山や今宵ゆりくる地しんには
城も町家もミな潰れけり
海津の驚乱
此度の地震さわきにもゝ人も
千人もなミた海津にそする
川中嶋の涙雨
遠国に地しんの噂ゆすりつく
水をあんしてなく涙かな
弥陀の殺生
諸国から人を集てミたや来
夕日に多く人をころして
矢代危難
近辺の地しんと火事の沙汰聞て
矢代野から帰る旅人
善光寺如来ニ奉伺
後の世を願ふ心の人〳〵を
かく早くとハ思はさらまし
や来御尽
後のミか現世も施主にせわかけつ
土葬水葬火葬まてして
なんと難有あり〳〵