[未校訂](注、他出と重複する箇所は省略)
此廿四日尾州も震動ありといへとも通例の事也、四月十日大
風あり暁七ツ時より朝巳刻頃まてのことなり所々破損少なか
らす。されとみつからなせるわさわひならねバ
世にすめハ天のさかにもおふ風乃
手すさみいとゝ草屋にそみる
奥せし(ママ)も山浅海深からぬ御名国に生れあひたれハこそあれと
有りたし。花井氏惣助と称ス 右一冊花井氏の本を以て写ス
御城下より善光寺参詣死失の者[耳|のみ]に入候分
上宿江川端 江川端
一米屋孫助妻 一すしや忠助妻
上宿ドロ丁 新長屋
一鍵屋弥一夫婦 一大平屋一家内
袋町伏見丁東へ入 横丁桑名町東へ入
一畳屋仙蔵妻 一米屋甚助
玉屋町 片端坂下
一吾妻屋清助男 一三河屋八左衛門
長者町
一
(ママ)〔村上家乗〕広島大学文学部
(注、四月十六日の条、全般の状況の簡単な書付写は省略)
(五月)
○廿二日己亥 曇朝風雨夕晴(後略)
信州地震大変死亡人は凡六万位と相聞其内尾張之者多有之由
右地震之節同刻ニ江戸も余程之地震有之箱根山も三月廿七日
昼夜ニ三十度も地震致候由右は江戸泉屋市郎右衛門ゟ申越候
由也