[未校訂]久方の雲の下行歴年を射留んとして弓を折宇ば玉の闇路を照
せる螢火を見て蚊を押へ又木から落る猿も猫が鼠をのがしけ
るも皆あせりし故にぞありけり物にさわげば穿山甲を天狗の
爪と思ひ人参を桔梗の根と[違|マチガ]ける又さつま芋のへぎたるを朴
木の皮と引かへける又生学者の違に雁頭を鴉の首と心得牽牛
子を牛の子と思ひ時鳥を鶴と読を聞て是ぞ雲天万夫の違と笑
ふかたことも是も□月とすつぽん程違多き世の中の人の心の
迷行野道を独歩の美女を見て狐狸をうたごふは理り成れども
不幸の有りて七日目当り門に[水鶏|クイナ]のたゝく音幽霊たりとおど
ろかん其夜は定ておびへける又うかつに物にありてば雪の山
を見て大象と思ひ蛇籠を見て[〓蛇|ウハバミ]成とおどろき夜通に[〓|ムクイヌ]を見
て狼成と恐れば黒犬を熊とおどろかん女は心細き者にて[家狸|ねこ]
[家鹿|ねづみ]迄魂消ける古へ大坂陳にもうろたへける者ら臼の立つ木
にて目を[突芥子|ケシ]の一粒につまづきける又文治の軍にもワラ人
形を見て弁慶と心得恐れをなして寄付す又太平記の合戦にも
逃る味方をてきと心得けるもおかし此般の地震にもあせりし
者は戸棚に〆又戸口え至りて明んとしては戸跡より押立けれ
ば明る様なし四月十三日の洪水も腰をぬらしていざりにおく
れ下り[逍逃|サマヨイ]て盲におしへられけるもいと浅ましき事なり又地
震の後も早合点成者ら常に居ろりのはたにすり鉢を置ける是
は若し地震のゆらば火のつぼに伏ん家たをれる共出火有まじ
との心懸けたり或夜簞笥に加な子のカタ〳〵と響ければ地震
と心得研?(ママ)は扨置丸はだかにて褌もせず瀬戸口さしてぞ飛さ
りけるに事もなければ又々閨中へぞ入ける是は次の間の寝所
にて息子[女夫夫婦講合|フウフミトノマクバイシ]の音にてぞ有しとや物にさわげは斯の
如しされば洪水大地震両度の難にせいて命を捨ける者は数を
しらず又油断して亡し者もすくなからず故に余りにあせり余
りに油断するは必定わざわいの[元為|モトイ]ならんがとしかいふ
弘化四未霜降月中の旬千田住
水野万治著
善光寺大地震聞書 後編
目録
地震の時如来様朝日山に飛たもふ事
日本三ケ所不消燈明の事
地震にて虚空蔵山大ぬけの事
松本にて怪異の事
由村地震にて大あれの事
丹波嶋不難のこと
善光寺大あれの事
所々大あれの事
地震にて崩屋死人怪我人の事
熱田大明神の御事
大日本善地たるの事
如来様御入仏の事
交野にて不吉の事已上
(注、本文は物語調。例として一節のみをのせる)
由村地しんにて大あれのこと
三月廿四日の大地しんにて越後海道由村のあれと申はそはだ
つ苔山を崩し落し田畠家屋敷をぞ泥土の下に埋ける土中に成
し場所のもの壱人も助らずむざん也けり次第なり又此郷の片
辺りに竪四十間横三十間余りの堤有水の深さ三間余り有ける
が地しんにゆり出されて一水残らず[替|カエ]上たり是を見て地しん
のあらき事を知るべし此外所々のそうどう大方ならず何方に
ても寝しづまりたる頃なれば皆人々は只一すいの夢地しんに
さましこわ何事とおどろきあわてふためきおき上り袷壱つを
弐人三人などして引ぱり引合ニけるやらまどふやら方をたが
へて戸棚に懸入などしてじたばたするやら腰をぬかしてもが
くやら家内のそうどう上を下どさくさ早わざ是中もはだしは
だかで裏表飛出懸出し壱もく三月暮の夜闇はあやなし爰かし
こ大地竄むやらさけるやら何方あてどしせん方なく野中篠原
沼畠け。きらいなんじょを飛こへて藪垣押方乱入頼む小かげ。
雨ならで森下そわ山かけのはた[千年|ちとせ]古木の松杉もゆりころば
せし大地震岩に打れて死も有りさけたる土に埋れてはかなく
亡し者も有たま〳〵命助るも夢の中なる心地して更に正気は
なかりけり抑今年の順気と言は以前に替り前年の寒中にして
寒気を暮に送り三月下旬の候なれ共未残寒さらずして其夜は
先頃よりも勝れて寒し地震の響は百千の雷の如し所々の山々
さけ落たる音にぞ有りけり数万人のさけびける音は[鯨波|トキノコエ]の如
し又奈落に苦む声々も斯やと思ふ斗也村々の火事は数ケ所に
して煙は重る黒雲の如し明りは昼の如くにして天をこがせし
事は入日に鳴戸の波の赤紅成るが如し斯てよく日に成けれ共
地震は更に止す其以前文化元子年出羽の国の地震は四日ゟ七
日迄ゆりける此時庄内の山崩落人馬多く死亡せし有処も是に
は過じと思われたり抑弘化の地震にて信越二ケ国にて死せし
人の数と四月十三日の溺死と其数合て二万余人にぞ及けると
言も聞へたり右弐度の難をのがれし者も命助し斗にて家財米
こく衣類常着迄も失へる者多かりければ此者へと地頭大官よ
り御[手当|スクイ]下され[衣等|キモノトウ]迄給りける在町の人々何れも皆真に有難
迚朝夕城の方に向いて拝しけるとなり曰小恩を知て大恩を知
ずと言へるも人々みな地頭大官の大御恩厚き事を常に不知斯
る大変の時こそ思ひ知れりと也