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項目 内容
ID J1900487
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔西土佐村史〕○高知県S45・3西土佐村史編集委員会編・幡多郡西土佐村発行
本文
[未校訂]3安政の大地震(約一一四年前)
安政元年甲寅(一八五四)冬十一月五日午後五時頃南海・山
陽・山陰の各地に大地震起り大被害をもたらした。余震は翌
年十二月まで続き八百十七回もあつたというから、その苛烈
さがしのばれよう。
高知市の被害
死者、三百七十余人
人家倒壊焼失、二万二千余戸
人家は大半が倒壊し、火を発し、老幼男女の泣叫び、逃げ惑
う惨状は凄惨の極みであつたという。
中村町の被害
家屋全壊 一五六戸、同半壊七〇戸
焼失家屋 九〇戸、死者 三〇人
下山郷においても家屋に被害あり。石垣等も壊れ、強震のた
めに逃げるにも歩けず、立木にすがり、やや震動の治まるを
みて竹藪へ逃げ込み夜の明けるのを待つたと古老はいい伝え
る。
古来天災地変に際しては、人々これを天譴として恐れ畏むこ
と甚しかつた。何の罰・彼の咎という素朴なところから、上
は政治の取り方の悪い故との反省まで種々様々な形で、精神
的な立て直しが考えられたようである。
Ⅷ九州
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-2
ページ 2358
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 高知
市区町村 西土佐【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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