[未校訂]3安政の大地震(約一一四年前)
安政元年甲寅(一八五四)冬十一月五日午後五時頃南海・山
陽・山陰の各地に大地震起り大被害をもたらした。余震は翌
年十二月まで続き八百十七回もあつたというから、その苛烈
さがしのばれよう。
高知市の被害
死者、三百七十余人
人家倒壊焼失、二万二千余戸
人家は大半が倒壊し、火を発し、老幼男女の泣叫び、逃げ惑
う惨状は凄惨の極みであつたという。
中村町の被害
家屋全壊 一五六戸、同半壊七〇戸
焼失家屋 九〇戸、死者 三〇人
下山郷においても家屋に被害あり。石垣等も壊れ、強震のた
めに逃げるにも歩けず、立木にすがり、やや震動の治まるを
みて竹藪へ逃げ込み夜の明けるのを待つたと古老はいい伝え
る。
古来天災地変に際しては、人々これを天譴として恐れ畏むこ
と甚しかつた。何の罰・彼の咎という素朴なところから、上
は政治の取り方の悪い故との反省まで種々様々な形で、精神
的な立て直しが考えられたようである。
Ⅷ九州