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項目 内容
ID J1900429
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔宇摩郷土史年表〕○愛媛県S41・5 大西素之編著・伊予三島市教育委員会
本文
[未校訂]安政元甲寅年(一八五四)
一一月四・五日に大地震で家屋が倒れたり、傾いたりしたの
で屋外に避難した。七日は甚しく道後温泉もとまつた。人々
は寅年の大地震と呼んだ。別子銅山では地下圧力に大変動を
起し、坑内各所の岩石は亀裂し、噴水ものものしく、堀場を
のみつくした。
「鋪内震動はげしく、所々石目より水吹き出し、湛水おびた
ゞしく、水引、千方昼夜手を尽し候えども、その後の度々の
震動にてますます強く、自力に及び難し云々」
地震と続く凶作で、今治藩は村々と富豪に金銀の供出を命じ
る。
二十両…三島、中曾根、下柏、上柏、妻鳥村。
十両は半田村である。富豪では二十両、真鍋善右衛門(三
島)、森実光五郎(松松)等二十七名合計三百七十五両であ
る。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-2
ページ 2072
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 愛媛
市区町村 伊予三島【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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