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項目 内容
ID J1900413
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔愛媛県温泉郡小野村史 全〕S35・5・1 小野村史編纂実行委員会編・小野村役場発行
本文
[未校訂]地震の記録(襖の下貼より)
嘉永七寅年十一月
一十八日未の刻地鳴広太也、其……と少々ゆり、是にて……
立騒き候事。
一地震中小屋うちにて疱瘡人多し右にて死人多し、此時そう
めん箱或は雛箱などへ入……始抹致し誠にあわれ成事聞、
猶又同所に安産のもの多し是は委難(ママ)候事
註 十一月十八日以前のもの見当らず、地震は十一月五
日より起っていることは次の記録でわかる。
十二月二十四日五ツ時に左の通御沙汰有之候事
安政改元
一安政元十二月二十八日 略
一十一月五日大地震にて道後湯とまり、日々々々祈大願さる
事、十二月卯正月
卯二月二十日より湯少々宛出る
一同卯正月十八日夜五ツ時に中地震ゆり
大阪より左の通申来候に付奉申上候尤図面も参り候処御役所
へ差出し申候
以下略
一十日夜当番十一日夜利屋彦三郎十二日夜当番十三日風邪に
て休
右十四日、名々思惑にて本宅に引移り火の元心を付煮たき致
候様御沙汰相成夫々に付右相廻り相見合に居候様に相成る、
但し御同心並年寄中は相廻り候事
一十四日本宅に勝手引移り候様の御沙汰に付七八歩通りは引
移り候得へども矢張不絶折々中ゆり小ゆりも致候故十五日
六日小屋かけに居候ものも有之十六日雨ふり暮かたより大
風に相成其中に時々地震も不止又々小屋へ出しもの数々有
之其夜難船も有之ものすごく夜なり
一地震に付近辺の御沙汰……記し……大阪兵庫辺大つなみな
ど打候事四国うちにては
阿波の国太事芸州路も当所同様大洲郡中町格別にて町家半
方は崩れ人死は十三四人有之趣御領分は御城下と同様久万
山より上通り同様其中に恵原村格別の事、当所三津浜町の
内北洲後南洲後北夷子町此四丁格別夷子社鳥居石燈籠抔崩
れ其外人家は左……有通此五丁南松前町……屋町新町南夷
子町あらいたみ所無し南大工町より七軒家八軒屋新立あた
り格別にて人家土蔵いたみ所多し
一四日より十七日迄昼夜七八十度也
以下略
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-2
ページ 2035
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 愛媛
市区町村 小野【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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