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項目 内容
ID J1900401
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔洲城要集 十七〕○愛媛県伊予史談会
本文
[未校訂](表題)
「安政二乙卯年
霜月吉辰写之
地震の評説
野礼失礼孟金陽題
山中三太郎 著述
金尾陽孟兼 同梓」
嘉永七の冬大地震、老若男女世上一円おしなへて稀有のおも
ひをなしぬ、是ニよりて或大人評説を編ミて衆の心を安から
しめんと、然るに其編の不足を補ふてこの天地ハ神明の造り
成給ふなるに、神恵を忘失して仏法抔を帰依するより、かゝ
る異変遇ふ神武帝より三十代まてハ世上異変有し事を聞すと
云々、また是を評してこの天地ハ神明の造りなし給ふとハ真
ニしかり、仏法また渡らさる前ハ天変地揺有し事を聞さると
ハ不審、古しへ素尊天ニ昇り給ふとき溟渤以之とゝろきたゝ
よひ、山岳是が為ニ鳴咍す、これ則神性猛きかしからしむる
なりと神代にまゝかゝることもありしを、仏法渡来よりかか
る変事ありと云証国史にある事にや、まゝ仏法渡りてより諸
の悪病流行のことハ国史ニ記しあれは然るへき事也と云々、
各国学士の高論なるへし、余ハ三教もしらす何の拠もなく可
笑ことを述るを笑ひたきひとハ笑ひ給へ、誹りたき人ハ誹り
給へ、扨地震ハ天地の病也、世界の人驕奢ニ誇るときハ天地
病を生す、譬ハ人食を過さハ腹張り迷惑す、衣服を過せハ熱
気を生す、彼の事に♠(ママ)るれハ渡る、惣して飲食揺(ママ)事其齢に応
して節あり、節を失すれハ諸々の病発する如くなり、今や有
難キ四海静謐泰平永く連綿たるにより、正敷キ国政を被りて
乱継の辛苦をしらす、腹飽まて美食し、身ハ分外の美服を纏
ひ、枕を高く安穏、家内睦敷栄花を極るの外咄しなし、天の
悪ミも国(ママ、恵カ)恩の尊きも弁へす、折々倹約の御沙汰あれハ左なか
ら御無用のこととハ恐れミ御返答ハせされとも心中にて我物
を我遣ふニ入らさる御触事やと独り合点ニて、上を恐れて言
ひハ得すして誇る族連衆多し、今様の族を天地の間ニ孕むの
か食ふのか何れニ介り込む、故ニ天地ニ病生しておこりか何
そのやうにグワタ〳〵震ふたり、腹の張ときの放屁の様ニど
ろ〳〵鳴たり痢病か何ぞの様ニ雪や雨やが格別ニ多く降りた
り、是ハ皆天地へ病を我らか拵るのか、御上ニも御煩ひなさ
れて、兼々御倹約の御触もあれども、前ニ申通心得る族則厄
病神の様なるものども也、御上御触れに足らぬ驕り普請を今
度の御触地震にて能々得心して家宅ハ小ニして屋根ハ藁ニて
軽く葺、立柱ハむかしの太神宮御宮造りに習ひて堀立にして
居住すべし、如何程大地震にても安心至極也、又居宅を手軽
く麁に構れハ珍器もいらす、衣服も美を尽すニ及す、左すれ
ハ功ニ合ぬ働きをして身を痛め心を労して大設けを心懸るに
およハす、地震のミにあらす上の御触御下知にも背かす、万
事安心至極の世渡りなるへし、アメリカモ遠方から見掛ても
日本の家居も麁抹也、人も麁服にて見苦敷けれハ、交易の思
ひ付もせす交易の思ひかなけれハ案内するとも来船すること
なし、何事も下々のものゝ分量をしらぬといふ大病から天変
地揺外国の異変来船、ヤレ〳〵是からハ唯安心ニ軽々と暮し
ましやふ、遠き神世の論や先帝許し容れられ為ふ仏道の事を
誹りたりハ暫らく延引仕てハ如何
右前編ハ大洲□何某談
同補作中扁ハ則之内何葉
末扁憲運作
安政二乙卯歳
中春集
同歳
中冬初八日写之 主藤田金阿柴金門阿
追白
嘉永七寅十一月四日晴天朝五つ時七分頃地震お淘弐刻程之
間、同五日昼七つ時頃大淘およそ弐刻夫より度々小淘、夜ニ
入五つ時四つ時九つ時三度半刻程宛大淘、夫迄も小淘度々、
九つ時頃より六日昼後小淘三度、七つ時ゟ黄昏迄ニ弐度、其
間も微震の気味ハ度々限りなし、黄昏より七日朝迄ニ少し剛
きハ弐度、小淘ハおよそ弐十度、七日ハ曇天五つ時ニ暫時微
雨四つ七分七淘壱刻程之間なれとも此間以来の荒淘なり、黄
昏まて小淘四五度、同夜五つ時四つ時七分頃九つ半頃弐度少
々荒淘、其余宵より八日朝同辰壱小淘四五度雨も時雨体ニ降
り又止ミ定らす、八日朝曇天ニて日和九つ時ニ小淘二三度、
同夜中無異曇天、九日晴天少し浮雲東へ込ミ冷気ありし、九
つ時小淘一度同時より曇天、同夜九つ時中淘壱度、十日晴天
無異暁方ゟ少々曇天、同夜九つ時一度小ゆり、是ゟ当年中毎
夜小淘止スして翌歳卯三月頃迄矢張此類族々之震動、道後温
泉も大淘之節出止ミ近辺の人々ハ湯の神社へ参籠し、又大般
若迄読色々祈願施さるの処、其感応ニや此頃ゟ再出し是ニよ
つて土地本元にもとりしならんと世間静謐なり、此後も少震
ハあれとも此大地震より中も折々ハ小淘ハありし事なれハ平
常の事ならんか、これとハ風雷諸変ゟ地震ハ容易に心得居る
の処、此度の大震ニて世間変の司となり小震ありても早も大
震の事をおもひやり世騒々敷いふ族多けれとも、天変地揺心
にたくらぶる事なくなれハ守りも小々の諺強て恐れいふ事な
からんか、併し遠き慮なけれハ近きうれへ、豊歳に凶年を忘
れす居る様ハ前談のことく小低(ママ)に構ゆれハ安心ならん爾云
神代の道をうかゝひて
藤原泰済
世とゝもになほはかも無土金乃道のほかにハえにしなけれバ
右文竜院自筆歌
常磐井有実蔵
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-2
ページ 2015
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 愛媛
市区町村 大洲【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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