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項目 内容
ID J1900360
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔寒川郡石田西村三浦家文書〕○香川県瀬戸内海歴史民俗資料館
本文
[未校訂](表紙)
「嘉永七寅歳十一月中旬認之
前代
未聞
南海道地震記」

注、〔有馬茂樹家所蔵文書〕○香川県大川郡大川町富田中
と同内容の箇所、及び他国被害知らせ省略

希代之奇談夢物語
時に嘉永七寅とし霜の月四ツの日辰の上刻ニ始而地震せり、
翌五日七ツ下刻に前代未聞の大地震いたし、ワれ人恐れさる
者なし、富たるものハ美宅を構へ、貧しき者も身分相応の家
をは己〳〵に城槨之様に思ふて日々夜々安穏ニ暮して寝伏い
たせし其家をは振り捨、思ひ〳〵に走り出、藁薦の小屋を志
つらへ、今ぞ貧福の差別なく雪霜をかついて爰そ安気に寝よ
い事と神代に戻る心地して□しつる里と居眠る障に、夢の浮
世にまたゆめの夢かうつゝかつれ〴〵の中にゆめ見る正夢
に、いつれぞかして異神たる姿の者忽然と顕ハれ出、我は是
地震の神なり言聞とル事阿り、謹んて能聞よと呼ハり給ふに
共に日月星辰を戴き、明らけき代に、世の人濁り奢りに邪成
心の振舞人倫の道くらき也となりしハ如何ならんといかり給
へハ、左する時に家の内ゟふ斗杜秤と升の転ひ出、則杜秤之
申様ハ只今被仰候ハ地震の神と承り候弥其御神に候へハ御願
申上度筋御座候間、御聞届可被下と申上れは□何其方其之身
として願之筋とハ如何ならん、何れ子細ぞ阿らん、委細具に
語るへしとあれは杜秤申様ハ、扨私共は忝くも徧く日本六十
余州之品々之軽重を廉直ニ量り、糺す物之具ニ而、東三十三
ケ国ハ秤屋之頭役守随と申者、西国ニおいてハ頭役神善四郎、
分銅ハ後藤何某と申もの皆以何れも蒙受領を候者ニ而、天
秤・杜秤・分銅迄夫〳〵名前を居へ被置罷在候身分ニ御座
候、弐拾八貫掛りハ廿八宿を、弐は九曜七星を表し、加ぎ分
銅ハ天地に形どり、国々之産物貫数之積りを量り立調達致候
者ニ御座候処、近来如何してか取扱候は其之業ニ而御座候
哉、精々私共之心を狂ハし掛廻し之節捻し付、〆付、引絞
り、身をためられ其上世の人にはこれは正直棒ではない、夫
而已ならす盗人杜秤志やと集人に嘲りを受候段誠ニ以心外ニ
奉存候間、何卒御神徳ニ而一統人情相立直り候様宜奉願上候
と申上れハ、次に舛共申上候ハ、乍恐奉願上候、扨私共御願
之筋と申ハ(ママ)抑身上之根元を申セは、先京判升八升又ハ其余
国々ニ而御国主之御規定相立色々寸法も相替候義ハ御座候得
共、全く私共は其御領主〳〵の御改め之焼印を内外トニ受候
身分ニ御座候而、第一世界之石穀物何石何斗何升之石数を斗り
立積りを究候者にて渡世仕来り罷在候処、近頃人気悪敷相
成、私之つる又ハ金はん・をこゼ或ハ煎砂ニ而轅を焼かれ不
都合成概を当られ、剰へ上戸をゆるかし、米ニ而めつこふゟ
打れ近頃其苦るしさ何にか譬ふへきや、日頃同職共附合之節
互ひニ身分之権式薄く相成候事を悔ミ合、ひたすら残念之余
りニ一句宛口すさミに言の葉をつらねはへ里たし
闇の代といたし人めをかすめ津々 杜秤
ほしのひかりも薄き身のうへ
ぶら〳〵としても分量たつる身に 分銅
祢ぢこまれて登ふどふふんどう
うり買に利をとりなから無理はかり 升
中にたつ身のこまりますかな
と友に面々身分之恥辱をワれと我身に顧ミはづかしむる、其
上に世の人には阿(何カ)方升よ五じや升のと様々の誠りを受るも皆
以天地の道理を知らさるものゝ仕業にて、是全く私之所為に
あらさる段、乍恐御慈悲之上御神徳ニ而御感考被為下候而、
御戒め被為下候へハ重々有かたく仕合ニ奉存候と四角四面ニ
申上れは、地震宮御感納まし〳〵左も阿らん歟、尤之次第ニ
候、併し其方共にかきらす世上追〳〵奢増長して弱き者をゆ
すくりたぶらかす世界に相成候間、此方ゟゆすくり候、是ゟ
ゆる〳〵と長くゆるかしたればいかでか杜秤・升共ニ携ハる
者ニ不限、其条横道者迄も我レ人自身〳〵ニ地震を恐れさる
者ハ余も阿るまし、いつれ世直りの時節を待へし、返す〳〵
も言へきニ阿らす、世の人〳〵第一天の道を背き、国法を犯
し、人を欺き、放埓奢り、邪の心を改め、是全情直にさせん
がため、向後いにしへに帰服せは、ワれも忽ち帰舘をなし、
諸万人の声を揃へて願ふ通り世直りにしてくれんずといふゟ
いな飛さり給ふと思へハ、夢さめにけり○如此正夢を見し儘
書ならへし
予か案するに、恐れても恐るへきは南海道において古今稀成
天変を強に評するにハ阿らざれとも、唯是を我子孫に天の御
戒めを言聞し伝へさせんかため夢を見し物語りの序手に愚昧
なから書添侍りし
古人の言に善を積む家には歓ひ余れり、悪をなす門には禍ひ
積れりと
○又白楽天の語ニ曰く
無事の人は無事の幸ひを知らす事至而無事のさいわいを知る
無病の人は無病の幸ひを知らす病至りて無病の幸を知ると言
ハれしハ実に爰なり此度所ニ寄り候而ハ破損転家大切成命を
失ひ怪我人等も夥敷事なりしを聞し中にハ堅土ひとつも落さ
すすりむき怪我も致さす兎角無事の人こそワれと我身の無事
を無事と顧るへき事此上は奢りを慎ミ第一正道を守るか肝要
なり扨世上の人有徳成人ハ聊か中躰の人もすへなし貧き人ハ
多分大方ならす其日〳〵を送り兼たる日雇挊の者勝なり其挊
く人の骨を盗ミ又ハ牛馬の背中の汗油を絞り取は彼の杜秤升
の遣り様之道具ゟなす業なり其歎き苦しミ自然と天に感痛し
給ひしとや此度天道の本正真の神善四郎の量りにて量り別概
キの引様恐れ入この故に積善積悪の人天の賞罰正しき事意味
深長阿りといへとも阿からさまに言いかたし能〳〵世上を考
へ見るへし詩ニ日天高しといへとせぐゝまり地厚しといへと
荒〳〵踏れすといへり誠ニ以此大変寝ても覚めても起ても見
ても明ても暮ても阿りかたき御異見の御戒めとおもへハ恐る
へき〳〵この上ねかい奉るハ兎に角天下泰平と祈り奉り恐ミ
〳〵ミ申す 穴賢
俄ニワか家を走り出し時途方に暮て
天道のまさる勘当する時は
うぶの非人におとる阿りさま
藁小屋の自在の許にてかしく烟りにい路里をせゝ里て
榾焚てうき世はなしはなかりけり
諸社の御竈になかくゆるとの風説、いよ〳〵霜月四日を始と
して十七日之夜八ツ刻迄昼夜ニ四・五度又ハ二・三度斗少し
宛ゆるる気味やまざるにおそれたし
はる永の気のゆる〳〵はゆる〳〵よ
此ゆる〳〵は気のゆるされぬゆり
程なく十八日ゟ廿四日迄少しつゝゆるき、廿四日辰巳風雨稠
敷、廿五日地鳴り又ハ雷鳴り申候、夫ゟ西風烈敷吹申候、又
十二月朔日酉ノ上刻ニゆる、其夜八ツ刻ニゆり申候、二日・
三日・四日・五日迄も少し宛震ヒ、又九日之夜四ツ時、十日
昼九ツ刻ニゆる、十二日之夜巳のノ上刻、十三日朝卯ノ刻、
十四日辰上刻夜九ツ半、十六日未上刻、十八日卯上刻震
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-2
ページ 1917
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 香川
市区町村 石田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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