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項目 内容
ID J1900331
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔山川町史〕○徳島県S34・12・10山川町史刊行会編・発行
本文
[未校訂]古い文書によるわが町の地震記録は、右の中、安政元年のも
のである。「安政元年十一月四日七ツ時より五日まで大地し
んなり、其後十日程ゆる也、土地は割れ、家はたおれるや
ら、人居所なく、徳島内町大火なり、此地震は日本国中な
り、[申酉|さるとり]方(注南々西)へあたりて大いに鳴るなり」(西川
田尾上利平氏記録による)
「嘉永七寅年(安政元年のこと)十一月四日大ゆり、五日大ゆり、六日小ゆり、
七日小ゆり、八日小ゆり、九日〃、十日〃、十一日〃、十二日〃、十三日〃、十四日

迄追々おだやかに相成候、有難し、〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵。
(瀬詰上田氏記録による)
この記録によれば、地震は十一月四日、五日の二日に大ゆれ
があり、折から西南から地鳴の音が聞え、村中残らず戸外へ
飛び出し、小屋掛けをしていた。夜間は徳島市内の大火で東
の空が赤くただれている。家も全壊、半壊、あるいはおぶた
(家の[下|げ]のこと)が落ちた等と書いてあるが、人に死傷は少
なかつたのか、馬けがなしともあり、有難しをくりかえし書
いてあることは、如何に恐ろしい出来事であつたかが想像さ
れる。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-2
ページ 1895
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 徳島
市区町村 山川【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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