[未校訂]古い文書によるわが町の地震記録は、右の中、安政元年のも
のである。「安政元年十一月四日七ツ時より五日まで大地し
んなり、其後十日程ゆる也、土地は割れ、家はたおれるや
ら、人居所なく、徳島内町大火なり、此地震は日本国中な
り、[申酉|さるとり]方(注南々西)へあたりて大いに鳴るなり」(西川
田尾上利平氏記録による)
「嘉永七寅年(安政元年のこと)十一月四日大ゆり、五日大ゆり、六日小ゆり、
七日小ゆり、八日小ゆり、九日〃、十日〃、十一日〃、十二日〃、十三日〃、十四日
〃
迄追々おだやかに相成候、有難し、〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵。
(瀬詰上田氏記録による)
この記録によれば、地震は十一月四日、五日の二日に大ゆれ
があり、折から西南から地鳴の音が聞え、村中残らず戸外へ
飛び出し、小屋掛けをしていた。夜間は徳島市内の大火で東
の空が赤くただれている。家も全壊、半壊、あるいはおぶた
(家の[下|げ]のこと)が落ちた等と書いてあるが、人に死傷は少
なかつたのか、馬けがなしともあり、有難しをくりかえし書
いてあることは、如何に恐ろしい出来事であつたかが想像さ
れる。