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項目 内容
ID J1900316
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔石が語る阿波〕S31・7・1 横山春茂著・徳島新聞社
本文
[未校訂]安政元年木岐浦の大潮害(海部郡由岐町)
グラグラと大地がゆれた廿七日、地震の恐怖がよみがえる。
不安につつまれた木岐(海部郡由岐町)の村人が、山上や竹
やぶに避難し寝もやらず明した嘉永七年十一月五日は、早朝
から空がすみ渡つて風もなく平和そのもののように良い天
気、ただくずれた土蔵、土べいだけが前日の地震の大きさを
物語つている。あわ食つて先祖の位はいを背負い、わらじが
けで、家財道具を運び出したことなど夢ではなかつたかと不
平タラダラ、ついでにすすはきまで済ませてやつとこさ家財
を持込み「無事で何より、まずは祝酒でも」と夕食準備を始
めた午後四時すぎ。
再びグラグラツとゆれふるう大地、座りこんだのはまだまし
な方で、横倒しのまま転り出た村民がほとんどだつた。大火
事と見違えるような土煙りをあびてぶつ倒れる家、土蔵。こ
の世の終りとはこれかと恐怖に口もきけなかつた人々も、ゆ
れ止むのを待つて下敷となつただれかれを掘出し、年寄り、
子供を背負つて、八幡山、荒神山、明神山へと逃げあがる。
小半時も経つたかと思うころ、ひつじさるの方と覚しい上空
で、百雷の一時に落るような大音響が鳴り出し、その数およ
そ卅六回と数えたとき、高さ三丈余の大津浪がゴウツと音を
立てて押寄せた。
スワ大変と考える間さえもなく、家や橋が押流れるもの数知
れず、木岐浦十一人、西由岐浦十六人、東由岐浦十四人、田
并、西野地各一人、牟岐浦卅六人など海部沿岸の村々は、た
ちまちにして多数の死人を出した。記録に残る安政の大津浪
(嘉永七年十二月五日改元)浜名悌三郎家(現由岐町長)の
記録には木岐二百廿戸のうち二百戸が流失欲の深いものか、
愚鈍なものばかり家財に眼がくれ死亡したとある。
并戸水の無くなるは大津浪の前兆との言伝えはウソ、強風、
曇天に大地震はない、地震大潮のあとは米麦が安くなる、百
年目ごとに油断禁物など、後世への注意を伝える家も多い
が、このとき流失した同町白浜の王子神社を翌年八月再建し
たとき、境内に献ぜられた大石灯ロウ、自然石を積み重ねた
ような何の変哲もないものだが、今でも犠牲者の供養にと灯
明をあげ、海の彼方に合掌する浦人も多いが、この石灯ロウ
の柱の裏面には「大地震之節油断無之事」と海辺の住民への
いましめが刻まれている。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-2
ページ 1889
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 徳島
市区町村 徳島【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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