Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J1900270
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔先祖年代記〕○徳島県鳴門市鳴門町高島 福永周一家文書
本文
[未校訂](過去帳)
一嘉永六丑年五月中旬ゟ七月廿七八日頃迄之大早魃ニ而一日
之雨等も無御坐、浜人ハ元ゟ田作之処迄も大ニ迷惑仕候、
浜方之儀ハ猶以塩壱匁三分ニ下落致候、八月ニ休浜仕猶又
冬三ケ月休浜仕申候、米百三拾三四匁麦九十七八匁ニ而浜
人一統迷惑仕候、尚又寅年塩下落ニ付八月ニ休浜仕候処少
し塩相庭引立申候
寅年六月稀成大地震ニ而伊勢四ケ市和州奈良大坂越前福井
諸国共大ニ潰家等多候而誠ニ大変ニ而候得共、当国ハ少々
之疼候、然ル処日暦十一月四日朝四ツ時大地震ニ而川ノ汐
あびき三四尺も候ニ付、村中騒動致し候処、翌五日昼七ツ
時ニ而大地震致し、村中潰家多候、塩浜之儀も大ニ床台共
潰込候尤五日夜ゟ同十一日迄国中山ニ小家を連山ニ而七日
之間暮し候、誠ニ国中大騒動之上南方津浪之為ニ家引込
候、答田嶌之塩浜も津波ニ引れ荒浜ニ相成申候、徳嶋通町
紙屋町新シ町内町分出火ニ而大騒動ニ御座候、尤両御屋敷
も出火仕候、南小松嶌も出火不残焼失仕候、当処儀ハ火ハ
静ニ御座候、誠ニ稀成大地震ニ而一統迷惑仕候、尤此後地
震致し候得は直ニ山ニ小家を建家事致し候事第一ニ候、船
ニは乗間敷事
尤紀州熊野ゟ江戸迄之浦々不残津浪ニ引レ候、土佐儀も右
同断ニ候、翌卯二月ゟ同国辺路御指留ニ相成申候
右大地震ニ付塩浜相疼申候処書当処分長崎徳太郎浜、私所
持之塩浜表四十枚ト竹嶋浜八十枚程相疼申候、三ツ石新浜
南浜立岩弁才天村右村之分ハ大疼ニ御座候、其余ハ少々宛
之疼候
此後地震致候得は川ニ気を付汐あひき候得は早々山江上ル

決而地震之節ハ船ニ乗間敷事
地震之時心得之第一左書しるす
第壱火之用心第一(冬春なれは、こたつ火鉢ニ気を付る水ニ而消事
第二川水ニ気を付汐あひきある時早々山江上る事
第三山江登り候而も薪米麦着物塩持て上る事
(注、以下原文を欠く)
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-2
ページ 1805
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 徳島
市区町村 鳴門【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.001秒