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項目 内容
ID J1900237
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔日本都市生活史料集成 四〕S51・1・26学習研究社
本文
[未校訂](老のくりこと)
○安政度ノ大地震ハ霜月四日朝四ツ時頃長震アリ(此年予カ
十七歳計ノ時也)。大ナラサシモ紺屋ノ藍液ノユレコボル
ゝ位ニハアリシ、越テ五日ノ黄昏大震ナリ。庭ニ出テ家屋
ノ震動スル状況ヲ見ルニ東西ニ動揺シテ壁ト柱トノ間三四
寸ハ開キシ様ナリ。後日ニ之ヲ改メシニ旧ニ復シテ異状ヲ
見ス、三四日ハ連々歇サリシカハ何レノ家モ往来へ戸障子
畳等持出シテ青天井住居ナリ、去リナカラ死傷者及ヒ家屋
ノ転覆セシヲ見聞セス(腐朽ノ小屋ハ格別)。江戸ニテハ
四日ノ夜大震ナリシ由
夫ヨリ五六年ヲ隔テゝ大震アリシ由ナレトモ、予ハ他出中
ニテ(伊予ノ大洲ニ在シテ)之ヲ不知。
○嘉永七年十一月四五日大地震・津浪、夫より毎日震申候、
朝裡十六日大風御座候而、其節此通之豆大阪中へふり申候、
皆々不思議ニ存候故壱粒送リ申候(蠣船ヨリノ来信)、以上
之拾数ケ条モ亦松屋ノ古貯書中ヨリ抜取シ物ニカカル。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-2
ページ 1755
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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