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項目 内容
ID J1900145
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔安政元年地震国許の状況〕鳥取県立博物館
本文
[未校訂]御飛脚志者たに帰り候まゝ一筆申上まいらせ候、追々寒気烈敷
おわしまし候得とも、先以
上々様方倍御機嫌克被遊御座恐悦至極難有奉り存候、御次に
御まへ様いよ〳〵御旁にて御勤被仰上御目出度勤候て寿(カ)存
候、扨は此度諸国大地震にて聞けは聞くほと恐しきものに御
座候、爰本も当月四日昼前地震いたし候得とも、此はさほと
大きくも無御座、尤もよほと長く有之候、其日は晩方迄に両
三度ゆり候へ共至て小さく御座候処、同五日又々少々ゆり、
晩方七ツ時分大ゆすりいたし、いかにしても家の内には居ら
れ不申、先々えん先迄出候て、すハと候へは飛おり候積に致
し居申候、長き事小半時斗、前後に此ほとの大震は無御座、
尤も田中瓦丁・行徳辺はけしく、山により候ほと小さく御座
候、已に瓦丁へは壱軒つぶれ老翁壱人即死致申候、其外処に
より死人両三人も承り申候、素ゟ町家の驚き不大方、手々に
戸板を担出し往来の真中へ朝迄野宿致候、殊ニ寒さは烈敷雨
も少々降り実にあわれと申も余り御座候、此夜も八・九度ゆ
り申候、同六日・七日・八日・九日・十日・十一日・十二日
頃迄日々ゆすり、人々の案し如何成行事やらんと安き心はな
き様子に御座候、四十八丁悉く道の真中にかり小屋いたし、
夜にいたり候へは其中へ出て居申候、此はあまり甚敷恐れ候
にも程かありと皆々申合候、御国は先此丈けの事にて相済候
か、追々承り候へは中国辺甚敷、大阪なとは大地震大津浪橋
を落し候事おひたゝしく、死人数をしらすと申事に御座候、
其外伊勢・尾張・志州・遠州辺散々の由承り候、已に遠州に
ての新井の御番所ことごとく崩れ、跡方もなく道中路々旅人
荷物通り不申由、又昨日承り候へは、富士川なと地震にて歩
渡出来候と申す事、素ゟ関東は一向通行成不申ほとの事と申
合候、何さま恐しき事、如何なる天変かと計存候、其御表御
飛脚も今以入り不申、定て道中に難儀致居候事と奉存じ、右
に付ては日々御左右相待折角御案じ申上候、さて又私方へも
病人次第によろしく、此節ハ先さつはりと致し髪もゆひ湯つ
かひもいたし悦候まゝ御案心可有候、小児頭すじへ胎毒によ
り出来、頭をかたけ大難儀いたし候へ共、此度遠藤せいけい
へ見てもらい候へは、早下かうんて居候まゝ間もなくついへ
候半申候に付、日々に膏薬もらいついへ候を待居候へ共、今
以ついへ不申困り居申し候、併至て軽き事決して御案有間し
く候、其御表風邪は少しはやみ候哉、寒の折柄折角御□被成
候、最前申上候、何角申上度候得とも、此度は御文も未たと
ゝき不申、殊に今日はつけものにかゝり、明日はすゝはらい
致候積、何角大取ませ致候まゝ安否斗申上候、右の様子故暮
かゝり代筆相頼認めさせ候得とも、御返答先は何分〳〵

十一月廿一日
なお〳〵くれ〳〵も御大事御いとゐ被成候様□岸尾へ
返答いたし不申候得とも本文通故重便迄延引いたし候まゝ御
序によろしく御断御願申上候 以上
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-2
ページ 1641
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 鳥取
市区町村 鳥取【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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