[未校訂]7 安政大津波
嘉永七年(一八五四、十一月安政と改元)日本国中に大きな
被害をもたらした大地震、大津波がこの地方をおそっていま
す。どのような状況であったか、その記録が、最勝寺に残さ
れています。
後世のために記録されたものか、誰かの記録を写して保存し
ておき、集会などで、地震、津波の場合の心得について話を
する時に使ったものか定かではありません。
全文は、資料篇に収録していますが、北栄周辺の様子は次の
ように書かれています。
「北川(山田川)橋詰にて家二軒流る。橋の三五郎殿屋敷に
て借家二軒流る。かじや細工部屋一軒流る」
「橋の向い、ゆりの堤皆崩れ流る。橋詰北側堤二十間余り皆
崩れ流る。道端下南がわ堤の養仙川口二十間余り皆崩れ流
る」
「北川筋は、清水渡り橋(現国道西の清水橋)少し上まで潮
行く。走り上り(現北道)畑より六軒家後、浜田向う宮後一
里松前(現宮西より北)へ船、材木、家、古木、雑具、すす
き(わらの積んだもの)、[蒸糞|むしごえ]その他いろいろのもの山の如
く数知れず流れ入る。)
(資料〔Ⅳ〕安政津浪記)
[嘉永|かえい]七年[寅霜月|とらしもつき][津浪記|つなみき]
右この記録永く子々孫々にいたるまで大切に拝見いたし左
の通り奥書相心得申さるべきの事
もっとも毎年正月廿八日村一統寄合の節この壱紙誦み聞か
せ一同に相心得候よう披露致すべく候ものなり
(中略)
これより、[津浪|つなみ][実録|じつろく]
嘉永七年甲寅十一月四日晴天四ツ時頃、大地震およそ半時ば
かり止みなしゆりづめ。家々瓦落ち、柱狂い候家も多くこれ
あり
みなみな驚き外へ出、見合わせおり候えども、いよいよ大ゆ
りに相なり、そのうえ川へよた来ることはなはだしく。四
日、五ツ六分、潮満ちみちて、八ツ六分、干尽し処、昼過ぎ
るまで込潮暮れ候ゆえ、みなみな不思議に思い候て、井の水
を見候えども格別に減じ候ようにも見へ申さず、あるは浜へ
潮の様子見に行く人も多かりし
そのうち、やれ津波上る大騒動におよび、家毎に着類はもち
ろん、または[蒲団|ふとん]、米などを相持ち、老人、女子供を別所、
青木、山田、吉川、そのほか近在の親類、あるいは心易き方
へ逃しおき、男分ばかり内に残り候えども、その夜までも何
事もこれなくみなみなよろこび、翌五日はいよいよ晴天に
て、そのうえきのう地震後しごく静[謐|ひつ]ゆえ、みな心をゆる
し、きのう近在へ逃し人ならびに持ち運し品を持ち帰りし時
は、死人のふたたび蘇生せし思いにて、まず何事なくかへ
り、みなみ[安堵|あんど]いたし[悦|よろこ]びける
しかるに、昼七ツ時ころまたまた大地震。今日はきのうより
いく倍も大きく、一同びっくり[仰天|ぎようてん]、さっそく家毎に家内表
へ飛出、畳を出し、そのうえに集り居り候えども、なかなか
ゆり止み申さず、八十歳ぐらいの老人も覚えぬ事と申され
候。ようやく半時ばかり過ぎ、しょうしょう[鎮|しづま]り候ゆえ、そ
のうちに如何程に大ゆり可有やもはかりがたく、後を恐れて
北川橋向いの大根畑へ居所を替え、今日持ち帰り候着類ふと
んの荷や車いまだそのまま有ることゆえ、いずれも持ち行
き、さてまた夕飯などはここにて支度致し、夜を明すつもり
に用意調えおき候
されどもこの日は津浪に恐怖して逃げ候えども何事なく、穏
やかになりしゆえ、みな人びと心をゆるし、津浪の事は少し
も気に付け申さず候。ただ地震のみ恐れ居り候ところ、しば
らくして海底数千の大雷壱度に発する如く鳴る事両三度。に
わかに海面山の如く、ヤレ津浪というやいなやまたたくうち
に大木、大石を推し流し、船、家蔵を[微塵|みじん]に[砕|くだ]き、押しきた
る大浪のするどき勢い、たとえをとるに物なし
子は親に離れ、親は子を失い、我先へと満願寺山を初め、天
神山、護念寺山、あるいは向山とちりぢりに逃げ行し有様
は、むかし源平の戦いに平家の軍兵、富士川の水鳥の羽音に
驚き、馬、物の具を打ち捨て、都まで逃げ登りしごとく、金
銀財宝、着類雑具にいたるまでみな打ち捨てあわて迷い、離
ればなれに逃げ行きその夜は山々に丁ちん、[明松|たいまつ]おびただし
く、夜の明るまで家内のものまた親類その外心安き人を尋ね
合わし、あるいは迷子を呼び廻り、ひしめく声はあたかも数
千里の大藪にて幾億万の蚊の鳴くごとく、まことに哀れる次
第なり
翌朝それぞれ尋ねあい[廻|めぐ]り会しその時は、家蔵、諸道具みな
流され、今日食物なき人もそれらのことは何ともなく、ただ
異国へ流されて候生死のほども[覚束|おぼつか]なく、[幾年月|いくとしつき]を待ち[詫|わび]し
に不思議と国へ立ち帰りし人びとの、あいたがいに百年振り
にて逢し心持にて壱ツ所に寄り集り、昨日の難に引きかへて
今日は悦びの声を上げ、嬉し泣きにぞなりける。家人とも今
日よりの難儀は打ち忘れ、ただ生を悦ぶこと、これ人情の[至|し]
[極|ごく]にてもっともなる事なり
ただし栖原、田村にてはいっこう少く、荒等も聊の事に
候
広かくべつはなはだしく、浜町残らず。西の方は忝原方
まで残らず。みな流失そのほか村じゅうへ潮入り一軒も
残らず。田地荒れ潮入る田おびただしく御座候。西広な
らびに唐尾、湯浅村同断由良の門大あれ
それより日高、田辺、熊野、勢州より東海道すじ荒れは
なはだしき噂に候
四国地、九州までも大荒れ
これより、心得の事
大地震ゆり海なり候てかならず津浪上ると相心得、左の用
意致すべき事
ただしこれなる音を俗に[海鉄砲|うみてつぽう]と言う
前日より海なり地震ゆり候はば早々用意致すべき事
用意致し候上は何事もなく候はばその時の大仕合なり
かならず油断致すべからざる事。恐るべし恐るべし
第壱
火の用心
かかるは壱ばんに竈の下あるいは火鉢、[火燵|こたつ]の火を
けし申すべく候事
第弐
持ち逃げる品
着類ふとんは家内に応じ、神仏ならびに過去帳帳面
そのほか大切のものみな壱所に集め置き、いざとい
うとき持ち逃げる用意、これは[平生|へいぜい]にも心掛け置く
べき事
なお[丁|ちよう]ちん、ろうそく、[付木|つけぎ]
第参
逃げ出る節
蔵の窓は入口、右、両方とも土戸にいたしおき、次
に居宅ずいぶん気をつけ落度これなきようしまり致
すべき事
(後略)
(由良町文化財 二号)
一嘉永七甲寅十一月四日五ツ時大地震此日諸方ニ而家蔵破損
多此日夜明迄地震十七ゆる翌五日此日ハ格別晴天ニ而前日
地震ニ而家々之諸道具高処へ持替置、ヲ皆持戻シ候然ニ七
ツ時ニ大地震淘シガ暫シテ海之鳴事大雷之如鳴止而綱浪上
り二番三番之浪之時家蔵をつぶす事誠ニおそ路しき事喩が
たし当村釜戸廿四軒棟数五拾弐軒流失横浜七拾三軒網代棟
数百軒余り人死三拾人計り
有田日高家流いく程とも不知此時ハ山家奥迄そとニ小家ヲ
懸住居致候当村不残四日より十一日迄奥谷之藪ニ小屋ヲ掛
住居致候当村へ御見舞として米壱斗四升高家川 酒五升富
安酒五升萩原 米四斗嶋村酒五升古新田如此