[未校訂](
注、多くの既出の文献からの編輯である。「史料」第四
巻および本書既出の部分との重複が多いため省略す
るが、以下のみ掲載する
)
震災余聞
(安政年表)
一四日、(安政元年十一月)摂州住吉社の神馬、四ツ頃より何
方へ参り哉(候脱カ)行衛不相知、同九日昼頃、泥まぶれに
なり帰ると云、此辺地震軽し
此頃大阪には、未申の方に当て奇異なる赤雲出ると云
嘉永七年甲寅十一月五日二度目の
浪花大地震見聞記
玆に奇なることあり。汐水突きたる前に、前垂島へ二丈斗の
高坊主出たり。此辺の人々、是を見て、きもをつぶし、アレ
ヨと云ひ居る内、彼高坊主海に入、陸に向ひ手を以て、水を
追ふが如くすると見て姿見へずなると、間もなく水突来ると
云、是此変を知らさんがためのふしぎなる事どもなり
嘉永七甲寅十一月
大津浪相撲取組
頭取 湊荒右衛門
世話人 響灘浪之助
沖鳴 大津浪 早浪 大浪 大黒橋 小舟皆 問屋潟
雷の音 逆巻 落橋 破船 船詰り 微塵 皆損し
川材木 荷主山 勘助島 割茶舟 跡残り 荷流し
大流れ 大泣 大漬り 人流し 橋台 大損し
金屋橋
半崩れ
船持 掛造り 水勢 浜納屋 大群集 多人力
大弱り 大破損 町流 蔵崩 人の山 引船
大地震大津浪太功記十段目 抜文句
しあん投首つなみにては船した荷主
他家へ縁付かして下され大はそん
した家主
おもひをくことさらになしよういしてばんばへ出た人
早本国へ引とり玉へ 遠方でつなみの噂聞く人
末世の記録にのこしてたべ 大黒橋へつまつた橋
追々都へはせのぼる 諸国よりの見舞状
高名手柄を見るやうな 普請方
行方知らずなりにけり 津なみにておちた橋々
めでたい〳〵 家内にけがのないの