Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J1800424
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔宇刈村誌〕○静岡県
本文
[未校訂]寺田琴次著
天災被害状況 安政元寅年十一月四日に於ける地震
午前八時過ぎ、大地震あり凡そ十分間位で止んだ。初め微震
で漸次に強くなり、農耕作に従事して居たものが眼が眩むよ
うに感じて、其の場に突伏して仕舞つた。漸く気付いて起た
んとして倒れ、家を案じて皆漸くにして帰つたとの事であ
る。当時遭難した一故老の言に依れば、私は主泉庵前の乾田
に仕事をしていた。当時瞬間目が眩んで地上に倒れたが、気
が付いて見ると、[岩崎側|いわさきがわ]の家が現わに見える。不思議な事だ
と尚よく見ると、藪が全部川に落ち込んで、家が皆倒れて見
えるのであつた。是は大変な地震だと家を心配して帰つた
が、途中何遍も震動して捗らない。喘ぐようにして帰つて見
ると、我家も倒れて居たが、家族は皆無事であつた。すると
竈屋の近所から烟のようなものがあがる。能く見ると烟であ
る。人を呼んで倒れた家の屋根を破つて水を掛けて消した。
其の時井戸の水が白濁して居たのを感じた。其れから暫時す
ると、大水が一時に流れて来た。是は溜池の堤防がみな決損
して流れ出したが川が潰れて居るので、田畑の上を全面に流
れたのであつた。
強震の時には余震毎に鳴動があつた。又強震後の余震は凡そ
一ケ月もつづき、家を鎖すものはなかつた。又傾き掛けた家
には補強の支桂をしても、段々に傾いて、家に入るは危険な
状態になつた。此の地震は前後に於いて稀有のものであつた
が、昼間ではあり炊事の中断された時であつたから、死傷者も
少く火災も少なかつたのは不幸中の幸福であつた。附近山梨
町や袋井町などは死傷者もあり火災もあつたとの事である。
此の地震では各所に大きな亀裂が出来たとの事で地震の時は
必ず竹藪へ逃げて行けと当時の人は子弟に教えた。人畜死傷、
道路橋梁河川の破壊等に就ては、資料乏しく判明できない。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-1
ページ 1119
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 静岡
市区町村 宇刈【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.001秒