[未校訂]寺田琴次著
天災被害状況 安政元寅年十一月四日に於ける地震
午前八時過ぎ、大地震あり凡そ十分間位で止んだ。初め微震
で漸次に強くなり、農耕作に従事して居たものが眼が眩むよ
うに感じて、其の場に突伏して仕舞つた。漸く気付いて起た
んとして倒れ、家を案じて皆漸くにして帰つたとの事であ
る。当時遭難した一故老の言に依れば、私は主泉庵前の乾田
に仕事をしていた。当時瞬間目が眩んで地上に倒れたが、気
が付いて見ると、[岩崎側|いわさきがわ]の家が現わに見える。不思議な事だ
と尚よく見ると、藪が全部川に落ち込んで、家が皆倒れて見
えるのであつた。是は大変な地震だと家を心配して帰つた
が、途中何遍も震動して捗らない。喘ぐようにして帰つて見
ると、我家も倒れて居たが、家族は皆無事であつた。すると
竈屋の近所から烟のようなものがあがる。能く見ると烟であ
る。人を呼んで倒れた家の屋根を破つて水を掛けて消した。
其の時井戸の水が白濁して居たのを感じた。其れから暫時す
ると、大水が一時に流れて来た。是は溜池の堤防がみな決損
して流れ出したが川が潰れて居るので、田畑の上を全面に流
れたのであつた。
強震の時には余震毎に鳴動があつた。又強震後の余震は凡そ
一ケ月もつづき、家を鎖すものはなかつた。又傾き掛けた家
には補強の支桂をしても、段々に傾いて、家に入るは危険な
状態になつた。此の地震は前後に於いて稀有のものであつた
が、昼間ではあり炊事の中断された時であつたから、死傷者も
少く火災も少なかつたのは不幸中の幸福であつた。附近山梨
町や袋井町などは死傷者もあり火災もあつたとの事である。
此の地震では各所に大きな亀裂が出来たとの事で地震の時は
必ず竹藪へ逃げて行けと当時の人は子弟に教えた。人畜死傷、
道路橋梁河川の破壊等に就ては、資料乏しく判明できない。