[未校訂]▽
嘉永七甲寅十一月四日五ツ時頃大地震之事
一当時客殿庫裡大損し門はころび瓦はくだけ塀柱おれ候薬師
堂前の家雪隠は小損村方本家潰れ候分門前仙次郎五郎兵衛
六左衛門七平又四郎権右衛門清左衛門善太郎伊左衛門友二
郎源太郎治平五郎左衛門与介茂平長治郎伝三郎万助此の外
わき家の潰れは数々なり遠渡は少々軽き様子源左衛門万蔵
七左衛門三之介(其の外二軒)賓(浜カ)は源太郎此の外脇家の潰
れは数々なり此の辺大潰れの村白羽中西堀の向堀辺もそれ
より西辺福田村迄村々大潰れ掛川町方惣潰れ火出て焼候袋
井宿大潰れ火事出て候外地頭方落居須々木辺軽き様子波津
相良は大潰れ市場辺より火事城下町まで焼け候東は箱根ま
で西は四国の阿波土佐二ケ国大地震大阪は波ニて船潰れ京
より東名古屋までは軽き様子承り候山ての方カルキ候
伊豆下田は津波にて大潰れ候
信州飯田松本辺家潰れ候
大地震の後五日の晩方大きにドウ〳〵と鳴り又ゆする事大
きなり此の時潰れし家もあり四五日内は一日夜に三十七、
八度ゆすれ、だん〳〵少なくなり候以後十日過ぎては一日
夜に十五六度位ゆすれ候以後家の潰れるほどの事もなしそ
れより冬中夜昼ゆすれ候春へなりても正月中は昼夜に六七
度位ゆすれ二月三月にも時々ゆすれ六七月までも少しゆす
れ以後段々軽くなり候八月三四度ゆすれ九月六日暁方中位
ゆすれ又も夜六つ過ぎ又ゆすれ夜中に三度計りゆすれ又廿
八九日暮六つ頃大ゆすれ皆人々かけ出す又夜七つ頃も少し
ゆすれ晦日の夜も六つ過ぎ少しゆすれ十月二日夜の五つ頃
此の辺は中ゆすれ、江戸大ゆすれ候而し家潰れ人死する事
数をしれず
林昌院住職
秋山義広
以上は当時の過去帳に記入され現存しているものである。