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項目 内容
ID J1800376
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔丸子路を歩く〕S52 春田鉄雄著・発行(四版)
本文
[未校訂](前略)
紀州家のお七里屋勘太夫が提出した書面を丸子一丁目入山昇
一氏が蔵している。[梁|ハリ]が落ち、家財諸道具が大半損失という
大被害も総潰れとか焼失とかいう他の城下町と比べると、被
害は比較的小さかつたといえるだろう。
(丸子お七里屋古文書の翻刻)
乍恐以書付奉願上候
東海道丸子宿勘太夫奉申上候。当[寅|トラ]十一月四日大地震ニテ[宿|シユク]
[内|ナイ]一円破損仕候 猶又、私宅之儀は、梁落家財諸道具等ニ至
迄過半損失仕候往古乍恐 御屋形様より頂戴仕候御盃并被為
掛御腰候御石之儀は大切ニ仕候ニ付御別条無御座、難有仕合
ニ奉存候得共、居宅所々及大破住居至困窮落入修復等は勿論
家名相続難相成当惑至極仕候
右之趣被為聞召格別之御慈悲ヲ以御救被成下置候様乍恐幾重
ニ茂奉願上候 以上
東海道丸子宿
御出入 勘太夫印
嘉永七寅十一月
西条様
御用部屋
御役人衆中様
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-1
ページ 1020
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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