[未校訂]S48・3・31 芝川町誌編集委員会
○地震
安政元年(一八五四)一一月四日大地震が発生、白鳥山崩壊
し、富士川の流れは東に移り、人畜、家屋に大きな災害をも
たらした。なおこの時稲子川西岸の山も崩れ落ちて川を堰ぎ
止め、池の谷が埋つたという。以来地震といえば、この時の
ことをひとびとは口にするという。震度はマグニチユード
八・五といい、死者全部で六〇〇人を超したといわれる。
二 池の[谷|や]
下稲子の部落により、稲子川に沿つて上ると右手の傾斜地に
池の谷の部落がある。この付近の稲子川は両岸が高く絶壁を
なしている。道はその東岸の中腹数十米の所を通つている。
この地は、安政元年(一八五四)の大地震によつて西の山が
河川に崩れ落ち、ために川はせぎ止められて付近一帯池にな
つてしまつた。それゆえにこの地を池の谷と呼ぶようになつ
たという。川中よりこの時崩れ落ちた大木が発見されるとい
う。
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