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項目 内容
ID J1800326
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔ふるさと百話 14〕S50・6・20静岡新聞社
本文
[未校訂](黒船秘話)
(前略)
壊滅的打撃を蒙つた下田の、その荒廃ぶりは言語に絶するも
のがあつた。この下田の大津波とディアナ号の遭難をあつか
つた「下田地震ちよぼくれ」という歌が、当時の世相を巧み
に表現しているのでここに挙げる。
ヤレヤレ皆さん聞いてもくんねへ
下田港の今度の騒動は 霜月(十一月)四日の四ツ時(午
前十時)頃より すてきの地震で元禄此方夢にも知らない
魂消た大津波にぢ様や婆様はばたばたかけ出し あまたの
大船 山へと打ちあげ 市中は残らずのつぺらぼうの野原
となつて お江戸のお方(江戸より下田へ来ていたロシア
応接掛川路聖謨、筒井肥前守等)も宿なし同然 ヲロシヤ
の大船(ディアナ号)十か九ツあぶない処を 大筒どんど
ん帆柱さげさげ窓から数本の櫂で押切洲崎(須崎)の出ば
なをぐるりと柿崎浜辺へやうやう漕付 先は安堵の思いは
なせども 又来る津波を 市中の男女は屋根にて凌ぐと思
つた処が 帰る浪路に沖へと押し出し 波間にざんぶと親
子のお分れ 死人の人数は幾万とも数は知らねど 下田の
お寺へ死人山付中にも不思議は はま姫君の社に集る人数
は残らず命を助かり 是こそ御代の御恩徳御恩徳
〝はま姫君の社〟とは、伊豆急下田駅から百メートル程後方
にある下田市役所前の波布(はぶ)神社のことで、祭神は波
布姫を祀る船神様で、当時は一面の田んぼの中に、この神社
が一社だけあり、五百石の大船がこの神社の近くまで押し流
されて来たが、不思議とこの境内ばかりは浮き上がり、津波
の浸入がなく、多くの人々が助かつたという。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-1
ページ 795
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 静岡
市区町村

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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