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項目 内容
ID J1800325
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔イラストレイテッド・ロンドン・ニュース日本通信 一八五三ノ一九〇二〕S49・5・8ティビーエス・ブリタニカ
本文
[未校訂](描かれた幕末明治)
津波の下田から
日本に地震起る ◆一八五六年一月五日号(13ページ)
以下に掲げるこの災厄の記事は、下田で感じられた影響を記
述した一ロシア士官の覚書によつている。そのときロシアの
フリゲート艦ディアナ号は難破し、沈没したのである。すな
わち:―
一八五四年十二月二十三日〔安政元年十一月四日〕ロシアの
フリゲート艦ディアナ号乗組員はその停泊位置を代えたいと
望んでいたため、ボートを出してへさきに小さな錨をおろ
し、九時三〇分にはもうひとつの錨を船尾におろした。九時
四五分、船は約一分間ひどい揺れを感じた。はじめ人々は座
礁しはしないかと思つたが、測深によれば船体のまわりには
八尋の深さの水があつた。その日は美しく晴れ上がり、澄み
切つて、空には一点の雲もなく、海上はまつたく静穏であつ
て、それ以上は何事が起ろうとも思われなかつたし、船上の
作業は続いていた。午前十時、大波が湾内へうねりながらや
つてきた。海岸の水位は急速に高まり、下田の町を沈めてし
まつた。フリゲート艦の乗組員には、まるで町が沈下してい
くかのように見えた。日本の大型ジャンク船が、激しく岸に
押し上げられたが、フリゲート艦のほうは錨につながれたま
まであつた。岸で修理中の[雑役艇|カツター]と[艦長艇|ギグ]は海へ押し流され
た。これらのものを拾いあげるためにボートが出されたが、
約五分後には、水(今は泥だらけの水)が湾から激しく流れ
出てくるのが見えた。砲はこのときは確保されていたが、低
甲板の戸は閉ざされ、ハッチは当て木でふさがれた。ボート
はすべて呼び戻されたが、一艘の大型ボート(ビネース船、
というより恐らくは、はしけであろう)は、すべてのものを
船外に投げ出すことを余儀なくされて、フリゲート艦の方へ
向かつて、必死で辿りつこうとした。それらのボートがほと
んど船に到着しかけた時、二度目の波が湾内へうねりこん
だ。今度の波は、浮いていたボートすべてを岸に運び去つ
た。しかもその波が引く時には、下田の町を形作つていたす
べての家屋が港内に洗い落されていた。水面はこわれた家屋
やジャンク船の破片に覆われていた。フリゲート艦は、今は
錨を引きずつていた。そしてしばらくの後には一艘の大型の
ジャンク船が激しく右側の船首に当たり、最先端ジブ斜檣、
第二ジブ斜檣、その支索および垂れ下がつていた下桁をはね
のけ、船首を傷つけた。そのジャンク船から三人の男がフリ
ゲート艦に上がろうともがいていたが、他の五人にはそれさ
えできなかつた。そして二分後には八人とも舷側に沈んだ。
それと同時に、艦は最も激しく揺れた。艦はこうした動作を
三〇分余りも続け、そしてその間六〇回ないし七〇回の回転
運動をしたにちがいなく、その間じゆう錨を引きずつて行
き、やがて島々のひとつに接近した。
艦は今や波のなすがままになつていた。あらゆる抑制力が失
なわれていた。一度など、艦は梁端まで沈んだため、甲板上
に立つていることは不可能であつた。しかし、艦の行なつた
旋回運動では、何も重大な衝撃は受けなかつた。それが五分
ほど続いた。すると水が急にもり上がつて、艦はすべり出し
たが、舵も、船尾材の半分も、副竜骨も、八一フイートある
竜骨の破片も、さらに二枚の底板もひきさかれた。きちんと
立つようになるまでに、艦は何回も同じ円を描いた。船体中
央にある砲一門がこわれてはずれ、反対側の二門の砲を突つ
切つて飛びはね、その際、一人の兵士を殺し、ほかの四人を
傷つけた。一二時には波はやや弱まり、気がつくと海岸が船
のすぐ脇にきていた。一二時三〇分に、水はふたたび同じよ
うな猛烈さで湾内に突進してきて、前回同様船体をあちこち
と揺さぶつた。これが二時三〇分まで続いた。その間に艦は
五回も転覆しかかつたが、以前ほどひどくはなかつた。海岸
は洗い流された。水位は急速に上下した。五分間に、水位が
二三フイートから三フイートにも下がつたため、一度などは、
あまりにも低くなつたため錨が全部水の上に見えるほどであ
つた。三時には、すべてが静穏に帰したが、二二フイートの
深さの海上にあつた艦は、毎時二二インチの速さで沈み、つ
いに完全に沈没した。その周囲にはこわれたジャンク船や家
屋の破片以外何も見えなかつた。ある家屋の屋根から、まつ
たく意識を失つていた一人の老婆が救助された。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-1
ページ 794
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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