[未校訂]S47・3・31 柳津町編・発行
嘉永の地震 嘉永七年(一八五四)十一月三日は夕方より
雪が降つたが、四日四ツ時頃に大地震があつた。この地震は
当村としては昔から聞いたことも無い大地震で、青木宅で
は、長四間半・幅九尺の納屋瓦屋根一軒と、雪隠と表門、西
の高塀三間斗りが倒れ、また下男部屋が半潰となつた。下佐
波では、住家の倒潰・半潰が多かつた。雪隠などは大部分倒
潰した。また住家は、全部の家が傾き、中佐波なども同様で
住家も五軒倒れた。
堤も所々で破損し、杁樋も損し、中でも玄蕃の杁樋は甚しく
破損し、東横手の池は残らず倒れ込み、長右衛門裏で堤が三
○間程も真中で破損した。
此の地震は当地及び美濃を始め伊勢・近江・尾張・三河・伊
賀辺までも響いた。
同月五日 今日も時々大小の地震があつた。また七ツ半時頃
に大地震があつた。引続き夜四ツ半時頃迄に大小二二・三も
地震があつた。これにより、住家の内に居る者は一人も無
く、皆家毎に小屋を造つた。小屋の中に入つても、夜、安気
に寝る者は一人も無く、皆々心配した。住家では火の用心の
ため、火を焚かなかつた。
今夜より定使二人と番人一人と合計三人を火の用心と盗人の
用心の為め厳しく巡廻させた。青木宅も四日から七日まで表
の囲いの南に小屋を造り、此所で寝起きした。