[未校訂](書状)
(前略)
一嘉七便りニ一ふてもやと存候おひ〳〵さむさいやまし候へ
共そもしはしめみな〳〵殿御きけんよく御くらし被成候や
あんしん被下候扨先日ハ大キニ地しんにておとろき候へ共
へつぜうなく此せつにてハしつかに成まし(ママ)あんといたし候
又其地用向むつかしきよしさそ〳〵御くろうのほどさつし
入存候ずいふん〳〵身を大事ニ風ても引ぬよう御いとひ被
成存候
一十五日ニ本家へ岩村ゟししんの見舞に御家来見へあちらハ
七日はかり入つゞけにて本家ハ火をけしたんぼへむしろな
とつり御出之由に候又東かい道あらひ一し(ママ)くつなみにて引
こみ又外々にもつふれたりやけたり大そんしの由に御座候
それゆへ東かい道御つうこうもなきとの事ニ御座候又大坂
日本はしむかひみな〳〵つなみ天保山も引こみ候とのはな
しに御座候ま事ニおそろしき事ニ候
一谷長様大ニ遣ひ過大くひこみニ成それゆへ酒仕入むつかし
く十五日の夜向町ニて九兵へ様あね殿秋平様内のばゝ殿谷
長様同あね殿そうたんなされ候へ共なにともかたつかず御
しんはい中ニ御座候
そなた事もゆたんハあるまじく候へ酒も成たけひかへめに
いたし身持大切ニいたすがかんようニ御座候
まつハあら〳〵
めてたく
申上候
十一月十六日
母ゟ
平兵へ殿
(書状)
一其御表御勘定所向等ハ一向無躰ニ仕成と承り貴公様ニも何
角御心痛之由難申尽奉察入候併余り懸合向等ニ御凝被成候
而ハ気欝ニ相なり候間風邪等も近付易候様ニ相成候間随分
考手透御慰等も御心懸被成候
一小子義先月廿八日出立仕岐阜在名子屋同一ノ宮表へ繰子綿
仕入ニ出行仕漸今月廿日頃ニ帰国仕候夫ツキ笑止之義有之
扨一ノ宮宿ニ泊り合右買物仕候処四日五ツ時七分計ニ大地
震入来宿場不残火鉢ばんこ是ハ置火燵也等抱表裏口々最寄へ老若
小供等ニ至迄走り出凡小半時も立暮居[只|ひた]すら家のうごく計
をながめ居候処漸しづまり其日も夕方迄ニ五六度も飛出し
夜分も折々右様之義御座候同五日名子屋迄要用ニて罷越本
町一町目近江屋近助と申所ニ七ツ半頃宿取泊り合候処折節
二階座敷ニ御座候而甚不弁(ママ)り抔と申噺居候処未タ噺之絶不
申内ニ又大地震入来スハヤト臥やら起るやら階子段から落
やら飛やら門へ走り出行来の人と抱付合一心ニ世直〳〵
〳〵と言内ニ漸しづまり先内へ入夕飯之座と相成候処家内
不残火も消候間御茶(ママ)積ニ香之物計で相済し風呂も火燵もな
□(かり候□、カ)□□□左之間手前荷物を腰ニ附夫ゟ度々地震入来候間草
履を求土の付たる儘夜四ツ頃迄ハ眠もやらず蒲団之中ニ居
候得共度々飛出し候様之義計ニ御座候間夜四ツ頃ゟ門へ出
かゞりを焼き朝迄地震の夜伽いたし夜明る迄とそ待ける所
漸夜明ニ相成候間朝飯を乞御膳ニ向ひ箸持いなや地震入来
箸をにぎつて飛出し候間早々飯を仕込直様用向一ツも不調
一ノ宮宿江と立帰り扨一ノ宮宿ニ未タ用向有之候間立帰り
次第宿屋之裏広く候間莚掛之小屋をさし七八日計酒飯眠等
迄安堵ニ仕候其内逗留中近在ゟ一ノ宮明神へ(離欠カ)垢を取はだか
参五十人組七十人組抔ニ而寒気深夜を苦ともせず参詣夥敷
事ニ御座候先は下拙笑止之程も御噺申上候富山近辺ハ如何
ニ御座候哉御帰国之節承り申度候 以上
一極此前之品ニ御座候得共老松壱ツ差送申候間御笑納可被下
尤遠方之義故香味等悪く相成候得共此段御用捨可被下候附
而ハ右古樽御邪广(ママ)ニは御座候得共風呂の焼付ニでも被成下
候様此段ハ拝て御頼申上候尤右樽余り大キ成樽ニ御座候間
○(ママ)切ニ被成下御足洗ひたらいニ被成下候而も此段ハ不苦事
ニ候間如何様共御取計可被下候
先は乍末筆当表御家内とれ〳〵殿とも御機嫌宜敷候間貴公
様ニも随分時候御いわ(と、カ)ひ可被下候 恐惶謹言
十二月朔日 皙 得運
拝
日下部♠処(カ)大人
(書状)
尚々
任幸便一筆啓上仕候寒冷相増候処益御清栄奉恐賀候次ニ貴君
御宅ニ而もばゝ殿始皆々様御機嫌宜御座候下拙方ニ而も皆無
事ニ御座候間御安意可被成下候然は先達而御世話様之義御頼
申上候椀平さと共送り遣し被下忝奉存候扨其節は何ゟ成御菓
子沢山ニ御送り被下手前難有奉存候且当四日大じしんニ而善
光寺やけ之節ゟも又候つよく候而高山表も皆々困入申候其節
ゟ昨日迄は毎日々少々ツゝいり申候而困入申候付名古屋外ニ
信州松本両所共少々いたみ申候様咄し有之申候間互申上候此
段富山表は如何様等奉存御申上候
(中略)
一三小殿江宜御伝声御願申上候付同家一条御心配義奉察候段
宜御願申上候
先は荒増申上候処如斯ニ御座候 以上
十一月十一日認 同 彦兵衛
代筆徳兵衛
谷平兵衛様
添書申上候寒サつよく御座候間御いとい被遊富山表懸合之義
も都合能懸合被成早々御帰りニ相成候様ニ可被成下候扨御内
室殿御義はなをさらまちかねニ御座候
徳兵衛拝
(端裏書)「〆十一月十一日認印
十一月十一日認上□村□□□便り十八日□入手
富山ニ而
谷平兵衛様同彦兵衛拝
書下内用 」