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項目 内容
ID J1800160
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔南部町誌〕○山梨県南巨摩郡S39・7・20 南部町誌編纂審議委員会・南部町
本文
[未校訂](落穂拾遺)
安政元年冬大地震アリ余は其頃父母ト幼弟広吉ト四人父の養
子先キ駿州富士郡蓼原ニ住居シタリ余三才之時ナリ三ツ子魂
ヒ百迄トテ此大地震ヲ夢の如ク覚へ居レリ住宅ノ店ノ柱真中
ヨリホッキト折レタリ此時余は子守ニ負ワレ居タリ成年ノ後
此時之事ヲ両親ニ問へはシカナリト云へリ外は何事モシラズ
此時家は柱は折タレト倒レズ母は二男ヲ懐ニ抱キ表へ飛出テ
タリト其後二日間小ユレヤマズ三日目ニ宅へ入リタリ
南部辺ト駿河蓼原辺りは大震之日一日違イアリ
是ヨリ(安政地震)六日ノ後江戸大地震アリ人多ク死ス此地
震ノ時西八代郡上野ニは道路へ大亀裂ヲ起シ巾一尺以上数丁
ノモノアリシ地震後三日目通行之人ノ耳ニ地下ニ人ノ声有ル
ヲ以テ此亀裂ニ注意セシニ地下六七尺ノ下ニ老婦之一人有リ
スデニ声モ充分不立息モ絶シ斗リニテアリシ早速多人数ヲ集
メ引出シ助命セシト云恐シキ事ナリ
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-1
ページ 494
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 山梨
市区町村 南部【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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