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項目 内容
ID J1800161
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔中富町誌〕○山梨県南巨摩郡S46・12・1 中富町誌編纂委員会編・発行
本文
[未校訂]江戸時代の災害として嘉永七年(十一月二十七日より安政元
年)十一月四日の大地震の文書がのこされているので道路、
橋関係について記しておきたい。くわしくは町の歴史編を参
照されたい。

(表紙) 嘉永七年一一月
地震ニテ而及大破候場所目論見帳
巨摩郡矢細工村 」
巨摩郡矢細工村
一高 八拾四石三斗六升四合
一拾壱町道之内 附替
字目夜平 拾弐間 岩切下ゲ
字牛くび 六拾間之内 弐拾四間壱丈 切下ゲ棚橋
三拾六間 方橋
字北牛首 拾弐間 岩切下ゲ
字切通し 弐拾間 右同断
右六拾間棚道並びに方橋
此入用 柱木 梁木 枝木 敷木 押木
親木〆 四百拾八木
右入用 杭木 大留木 柱木 梁木 敷木 押木
親木〆 弐千五百本
石工外弐百人 此賃銀五百匁 但壱尺ニ付銀弐両五分宛
人足九百八拾人
此[扶持|ふち]米七石三斗五升 但壱人ニ付米七合五勺
此代銀五百五拾壱匁弐分五厘但壱升ニ付銀七分五厘宛
合銀壱貫五拾壱匁弐分五厘
此金拾七両弐匁 永弐拾四文八分
右は地震ニ而及大破場所得与相改メ[目論見|もくろ み]帳奉差上候処相
違無御座候 以上
嘉永七寅年十一月
矢細工村 名主 勝兵衛
長百姓 文左衛門
百姓代 兵右衛門
(矢細工区蔵)
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-1
ページ 494
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 山梨
市区町村 中富【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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