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項目 内容
ID J1800124
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔青森市史七 資料篇一〕○江戸S41・2・28 青森市史編纂室・青森市発行
本文
[未校訂](伊東家文書)
十一月
廿五日
昨日松前の御飛脚当所御泊り、此人の噺ニ当月六日江戸地震
有之、大分つよきにて南部家の御屋敷等相痛み候よし、尚又
何日ニ哉、ヲロシヤ船七艘伊豆ノ下田へ渡来仕候由、治定相
分リ不申候へ共右飛脚の噺の由承り候儘相記候
十二月
二日
夕当所播摩屋治三郎下着、是は小間物仕込ニ九月江戸へ罷登
り候処今夕相下り申候、尤弘前御勘定奉行浅利七郎治様より
書状誂い参申候、其御状の中ニ
左ニ
一去四日昼四ツ時大地震ニて御殿向並御長屋共無別状奉恐悦
候、江戸の内ニも丸ノ内抔は所々強ク、南部様の御長屋二
棟とやら潰れ死人も八九人有之由噂御座候、其外所々ニて
破損御座候、追々可申上候
一駿河沼津並遠州掛川御城並家中在町共惣潰れ出火に相成
由、其上海岸付村町共津波ニて沖へ引込れ、大半の死傷の
由両家飛脚の者噂ニ御座候由
一豆州下田も同様大半死亡ニ及候由、其余は于今風説も無御
座候
一同五日昼四ツ時浅草猿若町より出火、西北の風烈大凡五六
町四方位焼失候旨、近年の大火と噂御座候、御屋敷は風下
ニて大に心配仕候へ共、早速鎮火ニて大慶仕候、其外異事
無御座候
十一月七日付
外ニ上方並江戸共大不融通の趣申参候
但浅利様は昨年大阪御登りの処、当度江戸へ御下り直ニ江
戸詰ニ御座候
四日夕
今夕丸善ノ書状相達、京都ニて出立の砌地震ニ相成無難ニて
江戸へ同月十八日とやらニ参着、定て御地地震評判御案事可
有之御安心の為申上候様書状相達申候、道中筋地震ニ付破損
中々難尽筆紙趣申参候、尤江戸十九日出立可仕趣ニ御座候
前書丸善書状三日大阪出相達、四日ニ江戸出相達、右弐封の
内書記仕度候処一封は米百へ遣し、一封は紋蔵に遣し頓而相
返り候ハハ相記申度奉存候
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-1
ページ 388
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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