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項目 内容
ID J1800123
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔安達清風日記〕○江戸
本文
[未校訂](注、十一月中の記事は「史料」第四巻四四一頁以下にあるため省略)
(十二月)
七日 晴聞下田滞留之ヲロシヤ船破損ニ及びしニ付船修覆
願出候処何分下田ハ全港流失家ハ一軒も無之ニ付西伊豆戸
田江廻り戸田ニて修覆致ス筈ニて二日下田港出帆致し戸田
江廻りし処途中ニて大風ニ逢ひ三州吉田辺迄流されし由洲
ニ乗り付船少しも動かずニ付大砲一発放ちける処其儘ニ破
裂致し候由使節フーチヤチン其外十余人は僅ニ免れ泳きて
陸ニ付し由其外道具類はじめ乗組之もの多分溺死之由扨々
気味之よき大愉快之事なり全く伊勢の神風か此節三州辺代
官処ニ居る由いまだ委曲之事ハ不分明なり
八日 晴 東海道筋盗賊横行之由全く地震ニて居宅はなく食
物はなく良民迄盗をなす由
十九日 晴聞ヲロシヤ船下田江参り居候分去月四日之津波
ニて大ニ破損修覆願出候処下田ハ人家も無之ニ付西伊豆戸
田ニ於テ地面拝借被 仰付役人共彼の地へ参り小屋抔仕立
今哉来ルかと待しニ久々来らず下田ニてハ廿四日大砲重器
等役所へ預ケ出帆致しける処大風ニて又帰舶いたし廿六日
出帆致し候并ニ人一人下田へ預ケ置候由然ル処途風(ママ)悪しく
僅ニ船路十六里之間六日め二日之朝戸田沖へ参り申候甚難
渋之様子ゆへ陸地ゟ引船出しける処大風ニて異船も引船も
四散致し黒船ハ駿州迄参り候処如何ニも危く哉乗組三百余
人一同水ニ飛込陸地へ泳付候由然ル処明朝ニ至り矢張船海
上ニ浮沈致しいかにも残念ニ思ひける哉翌朝又他船を借り
参りける処又風ニて分散いたし遂ニ本船ハ駿州沖ニて沈ミ
ぬ 異人三百余人一同濡れ鼠之如くニて駿州地方へ上り夫
より戸田へ送り此節ハ不残戸田へ仮小屋ニ差置候由今月十
日か九日か墨夷一艘参りける処兼て残し置しヲロシヤ人何
卒墨船へ面会ニ遣し候様願出候然ル処に十三四日之頃かフ
ランス船一艘参州之漂流人ヲ送り参り下田辺ニてアメリカ
之船印ヲ立参り候之由然ル処残り居しヲロシヤ人其言を聞
と逐電致し何処へ参り候哉相分り不申方々捜索致し候処陸
地ヲ川ヲ越へ山ヲ踏知れもせぬ路をヘタ〳〵と尋遂ニ戸田
へ参り居り候由 墨夷ハ約定を定めニ参り候事兎角地面を
拝借致し度段願上候事余程彼是申出し候由
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-1
ページ 387
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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