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項目 内容
ID J1800097
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔北信郷土叢書 十一〕S10・10・15 北信郷土叢書刊行会編
本文
[未校訂]纂・発行
(朝陽館漫筆)鎌原洞山筆
○東都地震
十一月四日東都地震三十一年已前七月の地震より強き方とい
ふ天水桶の水四分通りゆりこぼしたり所々潰家怪我人もあり
川崎辺へ用事ありて東都より行く人ありしが潰家などあつて
用事調る事あたはず空しく帰りしとぞ吾藩邸も御土蔵の壁は
余程のいたみあり御上屋敷新土蔵の土庇は倒れたり其外差た
る破損なしと也東都は八半時比の事也とぞ松城は八ツ半過七
ツ前に地震あり三五年には無之強かりしが破損はなし竹山町
辺にては地震ありしを曾て知らさる家もありし
熊本侯の御屋敷にて米蔵の米俵の下に成り五人相果候由紀
州御屋敷並長坂辺にて井戸堀両人果候由東海道金川にては
三十軒潰家有之由 川崎金川程ケ谷戸塚の四宿別て大地震
大地一尺程づゝわれ泥出候由潰家は数不知。江戸御城内御
襖御障子不残破申候由御櫓瓦等落諸見付破損相見両山御霊
屋石灯籠多く崩申候。沙魚釣舟沖へ出候処浪荒動候由場所
に寄候や釣舟四五艘方角を失ひ翌日無別条帰候由両国辺に
て屋ね舟二三艘も崩候よし
又東都来書曰品川海蔵寺本堂其外共潰川崎本陳同断其外所々
蔵々練塀倒候赤坂中の町山角主税様御門御長屋共潰大南部様
御玄関阿部鉄丸様御玄関石川日向守様御長屋潰候其外御府内
所々破損有之、長崎表大火にて二日半日焼候由
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-1
ページ 375
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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