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項目 内容
ID J1800037
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔南陽叢書 五〕宮内庁書陵部
本文
[未校訂]安政地震記
一九州地同時大地震津波にて何れも損し、所々城下流失の所
も有之、芸州広島殊の外大荒の由、阿波城下武家屋敷破
損、其外伊予土佐海岸何れも津波にて大荒のよし
一紀州熊野浦・田辺其外。湯浅辺都て南海辺は津波にて流失致
たる人家多く有之、人民も死亡多阿りしとや、此度諸国の
大荒ハ中々広大の事とて委しくは不相分、先荒ましを記し
置、猶其詳を知らんとならは各其国の人に問て其審なるを
知るべし
一当地内川へ押上げたる大船川口へ曳下りける仕方日々に町奉
行其地へ出張有之見分也、先大船の河岸の家へ突込たるや
うの分は町組火消人足の部にて是を致す、又川中へ曳出し
乗浮へなどする様の事は皆々上荷茶船中などの舟がゝりの
者役とす夫を轜轤をうけ引出すは海船の船頭・水主等の役
也、又船の破損して用に立さるは浜辺の□とも杣斧をも
つて切砕押流し或は水中に入て働など、中々諸役夫の及ぶ
処に阿らず、かくの如く役々多人数にて日々に曳出す事な
れば、さしも手の付所なきやうに山の如く押重りたる大小
の船々思ひの外に早く引下け通船自由に成にけり
一舟具板木片其外荷物金銀何にても拾上け、取隠候者有之候
はば吟味の上曲事可被申付との触書三郷町々へ通達有之候

一十一月五日夜亥の刻猿若町壱町目より出火、同所弐丁目・
三丁目。三芝居不残、聖天町・山之宿町・花河戸町。待乳山不残、西は
北馬道迄焼抜。金竜山寺中無事東は大川端夫より向嶋小梅村へ飛火水戸殿御下屋敷不残焼失致し、
少々焼凡丁数十町計焼而寅の刻火鎮り申候
一十一月四日同刻勢州四日市宿大地震有之、人家三十軒斗潰
れ、又同日甲州大地震にて大地割れ、潰家多津の辺も同様
の由、白子・神戸・松坂・桑名辺も少々損す、浜辺大汐大
浪にて大騒動、山田大荒れ潰家多く、志州鳥羽大地震大津
波にて、家中町家大半流失致し候由申来る
地震之節心得古老人之説
一地震考に云何時にても震動は初の程を甚とす、次第にゆる
く成なりとそ、凡度々の大地震皆々初の程にゆり潰したる
にそ、後々は破損する事はなし、地中の火脈発し出し跡ゆ
へ、後程は軽く成べし、此度のも前日に少しのきざし有て
大に発動し、其後は漸々にゆるき方なり、志かれ共国所の
土地の高下と古来の例を考索して宜しく計ふべきなり、又
船に乗りて逃れ去るものも阿り、是も舟にて地震に逢ひし
人の説にて考る時は、初の程は舟浮沈する如く、水中へ入
らんとするはこれ欝滞の気に圧さるる乎流水も滞まり行
す、たゞゆふ〳〵と浪高く成て、震ひ止む時は滞水も滞一
時に流るゝ事矢の如し、舟これの為に覆らんとす、因て思
うに船中に居事もあやふきなり、むかしより竹林中に逃れ
る事は宜しと云と雖も、難波の地の如きは市中に藪など有
べき所なく唯大道へ出て瓦の落かゝらん程の用意だにせば
先可ならんに、多くは金城の馬場に逃れ出るもの多し、京
師にては河原抔へ出る人も阿れども、これは何時出水せん
も計難ければこれも宜しからず、多くは大路へ畳をしきな
らべて食事抔も夫にてなしたるよしなり、又前年旱魃の時
は必ず翌年地震の有ものなりとぞ、是理に於て然るべし、
地中に水気滅する時は火気熾盛にして、其水火の度通ふ為
なれば、有余の火気発出するの道理ならん、出水するの道
理も亦理を以て知るべし、扨かゝる変有時は種々の雑説起
り、道理をも弁へずして猥に衆人をまどわし又浮説の遠近
に流行するを楽とする者もまゝ多し、悪むべきの甚しきな
り、正実の有益の事を知らしめ、衆心の安堵ならん事ねか
ふべきなり
右は古老の人の説話に聊愚案をかへて識す
嘉永甲寅六月 楓洞山人延年
尾州路
一名古屋表も大阪同様の事に付、人家土蔵等余程損し処御座

一宮宿同様大地震、四日・五日両日の内大くつれ所
八釼宮手洗鉢屋形・清正寺渡り階ろう・秋葉山絵馬堂・源
太夫御門・伝馬町御本陣、右皆々大崩れ、其外付出し町両
側とも壱丁程大損じ、土蔵座敷数志れず、尚又五日夕方津
波にて御浜御殿大そんしの由、且又道中筋東海道・中仙道
とも宿々大崩れ、別而美濃地には処々地三尺斗もわれ水吹
出し候様に御座候、何分大変のよし
義濃路
一当月三日夜大雪降、その処へ又々大地震にて大変の事
東海道筋十一月四日
一小田原人家少々損し 筥根 
人家倒れし処も
有之怪我人なし
 三島
人家不残
潰れ
新町橋際より出火致し、則明神前久保町伝馬町三丁程焼失

沼津
御城崩れ人家過半倒れ
怪我人亦有之よし
 原 吉原 蒲原 由井 奥津 江

人家倒れ通路
出来難よし
 駿府
人家不残潰れ御城内
崩れ怪我人多有よし
 鞠子 岡部
人家少
潰れ
藤枝 田中御城内平崩れ人家不残潰れ出火と相成り宿内過半
焼失死人怪我人亦数不知
江戸
一丸之内 西御丸下 辰之口 大名小路辺厳敷
一御府内格別の事無之候
一御郭外南芝辺 麻布 青山 赤坂 三田 霞ケ関 白金町
今杉辺大損し
但増上寺
天徳寺無事
一同北ノ方 上野 根津 谷中 駒込 牛込 小石川 小日
向 本郷 山下 根岸 今杉 下谷
一同東ノ方 深川 本庄 浅草少々
甲寅十一月四日辰刻地震損所書上覚
町数合而四十五町内訳十三町北組十七町南組十五町天満
組外ニ目印山之内南組地所広教寺門前潰家合八十三軒潰
土蔵合八ケ所潰納家合七ケ所潰土塀合九ケ所大潰家合七
軒大破土蔵六ケ所大破道場一ケ所潰井戸家形二ケ所死人
三人女
同五日酉刻高汐津波書上覧
諸廻船千百十八艘 内
木津川筋六百十七艘内
損船二百六十四艘
破船百六艘
小損又無難船二百四十七艘
但堀江川百間堀立売堀
安味(ママ)川筋三百二十艘内
破船三十六艘
損船九十三艘
小損又無難百九十三艘
道頓堀川筋百七十九艘内
破船十四艘
損船百四十九艘
小損又無難船十六艘
諸川船六百三十艘内
破船五百六十二艘
流失六十八艘
溺死弐百十二人
男六十二人
女百五十人
生死不知者六十四人
男十六人
女四十八人
溺死男三十四人女九十一人
南組十町生死不知者
男三人
女七人
溺死男十三人女十九人
天満組九町生死不知者
男五人
女十三人
落橋十
木津川筋 亀井橋
安治川筋 味川橋
道頓堀川 住吉橋 幸橋 汐見橋 日吉橋
堀江川筋 鉄橋 水分橋
長堀 高橋
西横堀 金屋橋
損橋堀江瓶橋 潰家四軒 大破損家七十五軒 潰土蔵一ケ
所 潰納家八ケ所
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-1
ページ 344
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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