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項目 内容
ID J1700174
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1858/04/09
和暦 安政五年二月二十六日
綱文 安政五年二月二十六日(一八五八・四・九)〔飛騨・越中・加賀・越前〕
書名 〔小矢部市史 下〕S46・8・1 小矢部市
本文
[未校訂]また安政五年(一八五八)二月二十五日夜九ツ過ぎに起きた大地
震の被害も記録的なものであった。大正のころにはまだ、当
時の恐怖を記憶していた古老があった。越中一円にわたり、
あちこちに被害が出た。旧記によると、「今石動河原町三十
軒程潰れ申候事」と記され、また『諸品吉凶異変公事自他雑
記』に、
その内夜明に至り、遠近様子聞合候処、今石動抔は家十五
軒斗つぶれ、蔵塗揚戸前助かりし処無之大変至極、町中割
れ、其中ゟ水をふき出し申候由、翌二十七日夕に至り、私
見舞に行見聞之処、小神橋ゟ蔵壁落申候を手始として、福
町六郎谷屋ゟ背戸之戸前つぶれ、川原町にて二軒、正聖寺
つぶれ、円正寺半つぶれ、むかへ(の)家二軒つぶれ、夫ゟ権助
之居ニ見舞申候処、少々蔵にひびり行、木吉屋吉兵衛背戸
前つぶれ、越前町所々土蔵つぶれ、安居屋伊兵衛之土蔵い
たみ、卯花屋甚兵衛背戸ろうか(廊下)より戸前に懸けてつぶれ、
横町桶屋背戸前つぶれ、北村屋与四郎ろうかより戸前迄つ
ぶれ、其外越前町・糸岡町・馬喰町等に家つぶれ申候、猶
々つぶれ家蔵所々夥敷候得共、私見物之分而已記置申候
城端ハ石動よりは一倍強き様子、谷屋醬油蔵は谷底落申
候、又瑞泉寺つぶれ申候(中略)
当春地震ニ而砺波郡潰家之覚左に記す
一壱軒 埴生村、但家下に成壱人足を痛め候事(中略)
一弐拾弐軒 今石動丸潰家
但壱軒に付銀拾匁宛御取扱として御役所より御渡に候
一五軒 同所半潰家
但壱軒に付銀七匁右同断
一四拾壱軒 同所大破中破家
但壱軒ニ付銀五匁宛難渋の者共へ右同断
一五拾壱軒 同所小破家
但壱軒ニ付銀三匁宛右同断

右今度廿五日夜地震ニ而、今石動町潰家等承合慥成所書上
可申旨御仰ニ付彼町承合候 当廿七日御与力烏山重右衛
門様并御足軽中御検分有之 前段之通、当座為御取扱右銀高御役所ゟ御渡御座候 此外身元之相応之者、并戸(ニ)前
等相損シ候分ハ未調理中之趣ニ御座候 依而此段書上申候
以上
(安政五年)
午二月晦日
福町村算用聞当分
肝煎代り兼帯
弥兵衛
同 組合頭
兵右衛門等五人
金屋本江
金右衛門様
右今度之地震ニ而今石動潰家等様子聞合方之義、福町役人
江申談候処、右之通書出申ニ付御達申上候
午三月十二日
金屋本江村
金右衛門
金子篤太郎様
高田弥八郎様
まことに生々しく惨害状況を書き残してあり、当時の大惨事
をまざまざと知ることが出来る。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻4
ページ 640
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 富山
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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